Empathemian, Fremont Older Open Space Preserve

ショーペンハウアーは、こう言いました。
「自分が持っていないものを見ると、ともすれば「私のものだったら、どんなだろう?」という考えが頭をもたげてきて、ないものねだりをしてしまう。そうではなく、自分が持っているものに対して、「これが私のものでなかったら、どんなだろう?」としばしば自問してみよう。つまり財産や健康、友人や恋人、妻や子、馬や犬、何であれ、自分が持っているものを仮に失った場合を思い浮かべ、時おりそうした角度で自分をながめるように努めよう。たいてい失ってはじめて、そのものの価値がわかるからである。」

小島寛之さんは、確率をあつかう経済理論でも、こんな話を紹介しています。
「ある棋士から次のようなことばを聞いた。「ホームレスの方々を見ると、時々こんなことを思う。あのとき、銀を左下ではなく右下に引いていたら、今自分はこの人だったかもしれない。」この棋士はたぶん、偶然で銀の駒を左下に引いたのでしょう。それは結果的に正解でした。しかし、このあとこの棋士には、「銀を右下に引いたことで生じたかもしれない世界」がつきまとうことになりました。なぜなら、この可能性を付与しないと、棋士は自分の現在を正当に評価しえないからです。」

現在の自分の立場や境遇は、全部が自分の判断や行動の正しさや、それに応じた備えや努力の産物であるとはかぎりません。

運は、たまたま。英語のchanceということばは、運、たまたま、確率。

未知のじぶんとは、将来の姿だけはなく、過去についても、気がつかないまま、やり過ごしてしまっている「そうであったかもしれない世界」に目をむけることです。他者への共感のまなざしを向けること。それは、未知のじぶんへと、向かいます。そのことを刻むシンプルなことば:

It couldn’t be better. これ以上、のぞめない。

おかげさま。
I am blessed. (見えない贈り物を頂いている)

そのように、ひとこと言ってみるだけで、閉ざされていたとびらが、すっと開くかもしれません。

出典:アルトゥル・ショーペンハウアー『幸福について』、小島寛之『確率的発想法』
『英プラ』トレイル 1 (4) Have a nice day! (32) I could be wrong.