身につける ③ 実は見えないルールがある

人間関係に大切なルールとは?① ゴールデンルール(じぶんがしてほしいと思うことを、人にもする)と② シルバールール(じぶんが人にされたくないと思うことは、人にもしない)。①だけではなく、②が大切。「ほどよい」距離感とか、「絶妙な」バランスを保てるのが理想ですが、思いやりは、相手の身になること。相手にたずねることです。

Don’t treat others the way you would not like them to treat you.(じぶんがされたくないことは、人にもしない)

じぶんを生きている (人生を暮らしているのではなく)

蓮の花とおなじように、じぶんという存在もまた、不思議です。私という人間が、世界のあるところに生きていて、世界を眺めたり、物事を考えているようで、実は、自然に委ねられています。「私が生きている」のではない。「じぶん」を生きている。「じぶん」はすでに、宇宙に委ねられている。じぶんという土の上を、導かれて歩いているのです。

You live your “Self.”(じぶんを生きている)

地を踏んで、空を見上げる。[Humanの意味]

鷲田清一さんはこう言います。「ヒューマン (human) という語は、フムスhumusという、地面とか腐食土を意味するラテン語からきている。人間はこの地上の被造物であるから、ヒューマニティ と呼ばれる。よく似た単語に、ヒューミリティ (humility) がある。謙虚さという意味。これもhumusを語源としている。」

We are only human. (私たちは人間にすぎない)

じぶんという土壌

「じぶんという身心土壌」に手入れをしましょう。私たちが生きる糧は「静穏」という土壌で育ちます。静かにすわり、息を吐いて、力を抜きます。落ち着いて、自然に出ることばを声にすること。身をもって出力することばが糧になります。身をもって、相手に語りかけ、呼びかけること。エンパシームを開くと、じぶんという土壌の手入れができます。

Cultivate Soul. 心をやしなう。

相手がいて、じぶんがいる。

何かのスキルの獲得だけが、学びなのではありません。もっと広く、じぶんと相手があり、世界があるのだと感じられることが、いちばん大切です。そのように、親身になってかかわり、共に生きようとする体験こそ!そうすることによって、スキルの習得、上達も可能性がぐっと高まります。なぜなら、姿勢と思いが身につくからです。

Cultivate your mind. Nurture your heart.

思う以前に感じている

私たちはふだん、「悲しいから泣く、怖いから震える」というふうに考えますね。ところが実際には「泣くから悲しい、震えるから怖い。」というプロセスがあるのです。脳は末梢神経とつながったシステムであり、身体の一部です。身体は環境との相互作用によって働きます。心が行為に影響し、また逆に、行為が心(気分、情動)に影響するのです。

If you smile, it makes you happy.

水滴のじぶん

ペルシャの詩人、ルーミーのことば「じぶん自身が水滴であり、大海である。海の一滴ではなく、一滴いっぱいの海である。」私たちはふだん「私の体、私の心、私の命、私の健康、私の幸福、私の人生」というふうに、何でもじぶんの「持ちもの」のように思うことに慣れすぎ、身心は自然の一部であり、大きな力を秘めていることを知らずにいます。

You are not a drop in the ocean. You are the entire ocean in a drop.(じぶんは海の一滴ではなく、一滴いっぱいの海である。

ものにささえられて(じぶんに気づく)

じぶんひとりが頑張っているのではない。じぶんと共にあるものがある。それは、エンパシーです。「相手」を感じること、ふれあっていること。共感の相手は人間に限りません。光も水も風も、じぶんの相手になり、共にある時があります。私たちはつねに、いろいろな物事に支えられている。そのことを思い出す時、じぶんの存在に気づくのです。

When you unlearn yourself.

想像の空間を生きている [ふだんすっかり忘れている]

映画監督 デイビット・リンチさんのことばも、芥川龍之介『藪の中』も、大切なことを思い出させてくれます。私たちは、つねに想像の空間を生きているということ。ふだんはすっかり忘れています。真実は語りきれないもの。たったのひとつの真実というものは、ない。そのように捉え、表現によって想像が湧き起こる時に、ハッと気づくのです。

It’s up to you.(じぶんで感じるように)

私たちはみな、限定的なじぶん。

近年、行動経済学の研究は、人間の思考のバイアスを明らかにしてきました。人間はいつも合理的な選択をするわけでありません。合理性も、自制心も、利己心も、限られています。私たちはみな「限定的なじぶん」なのです。でも、悲観はいりません。人間に備わった共感の力、じぶんをケアする心で、じぶん自身の限定に気づくことができます。

We are all limited self.(人はみな限定的なじぶん)