「じぶん」は対話でできている。

浜田寿美男さんは、こう説きます。

「ことばとは何か?「語と文法からなるシステム」と言うと、ことばが先にあり、それを使ってやりとりするように聞こえるが、そうではない。他者との対話(ことば以前の対話)から、ことばが生まれてくるのであって、その逆ではない。対話性があるから、そのように、ことばを獲得するのである。他者との関わりこそが本質である。

自分の声を聞くという行為。しゃべる行為そのものは無意識だが、実は、相手が自分の声を聞いていることを確かめている。決して、おまけに自分にも聞こえるのではない。話すという行為は、聞くという行為と一体になっている。

流れ星とねがい ②

流れ星に会うチャンスも、その時にひとこと言える時間も、あることがわかりました。
 
あなたのねがいは?
 
と聞かれても、すぐに出てこないねがいは、ねがいではありません。
 
あーだったらいいな、こうだったらいいな、という願望のことでないのです。
 
では、神様や仏様に、お願いするのは?
  • 試験にうかりますように。
  • 明日いいことありますように。
  • 今年も健康でいられますように。
  • もっともうかりますように。
 
神仏におねがいすることを、「願をかける」といいますね。
 
ただ、たまにしか言わず、じぶんではなにもしないのでは、かないそうもありません。

あとから、種になり、芽生える

私が20歳の時、父は病床に伏しました。脳梗塞の後遺症で運動神経が麻痺し、半身不随でした。目も耳も意識も明瞭でしたが、「声のことば」を発することができませんでした。構音障害という病気です。

「声ことば」は、肺からの気流を、声帯で振動でさせ、ノドや口・鼻で共鳴させ、舌や顎によって、区切りをつける身体運動です。声の「つぶ」が連なり、空間に濃淡がつく現象。それが、失われていました。

父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」が声ことばのための道具でした。父の左手を支え、指先がひらがなにふれるごとに、私が一音ずつ発音します。息づかい、目くばせ、うなづき、表情。雰囲気の中の「ひらがな列」を、共に話し、共に聞くのです。

色つぶを使ってプラクティス

「メタファー」をご存知ですか。
作文を書くときの「比喩」表現のこと?いえいえ、メタファーは表現の工夫だけではなく、物事を知ろうとすることです。

見えないものを、見ようとすること。ふれられないものに、触れようとすること。直接感じられないものを、間接的に感じられるようにするための方法です。

何かに見立てたり、たとえたりして、見えるものに置き換えることです。知っていることを素材にして、そこから想像することです。

心は連続している

コミュニケーションということばを聞いて、何を思い浮かべますか?

思いや考えを伝えること、相手の言うことを理解すること、でしょうか?
だとすると、伝えるべきことばが先にあって、それを表現し伝達する、という順番になりますね。それは本当でしょうか。

コミュニケーションというと、「意志の伝達や理解」の部分だけを考えますが、実は、実態は、すこし違うのです。

ことばよりも先に、相手とじぶんが、何かをわかちあえる状態、つながった状況が先にあります。
赤ちゃんとして生まれた頃、お母さんと共にあり、それを感じあう状況が先にありました。そしてそこで、ふれあいのやりとりが生まれていたはずです。
そのような状況が、刻々と、連続的にできる中で、「コミュニケーション」を身につけてきたのです。

授かったものを活かして

ギリシャの哲人・エピクテトスのことば。
自分にないものを嘆かず、あるものを楽しめ。

じぶんが授かったものに気づき、それを使う喜びを感じることが大切ということです。
与えられたものを受けよ、それを活かせ。

持って生まれた能力とか、潜在能力とか、むずかしく考えるのではなく、じぶんの身体、声、授かったもので、すぐできることをやってみましょう。

出力こそ、まなび。

読書百遍ひゃっぺんおのずから通ず。
(百回、つまり何度も繰り返し読めば、内容が自然にわかるようになる)

このことばをどのように受けてとめていますか?
→「そうなんだろう、きっと。頑張ってたくさんやれってことね。」(たいへんそうだなあ。めんどうくさそうだし、よくわからないから、やらない。)
→「そうなのかなぁ。わからない文章を100回読んでも、意味なんてわからないんじゃないか。」(では、やってみる?でも、疑っているので、やらない。)