いまを実感する単位

ジル・ハンソンさんの『マインドフルネス』の冒頭の一節です。

「最近、ある緩和ケアの看護婦から聞いた話。 彼女の仕事は、終末期の患者が人生の最期に、後悔に苛まれたり、死を恐れたりせず、残された「いま」という時間を最大限、意味あるものにする手伝いをすること。確かに、意味のある仕事だ。ただ、聞けば聞くほど、疑問が湧いて来た。

なぜ、それほどたくさんの人が、臨終を迎える段になって初めて 「いま」を学ぼうとするのか?。
生まれてから死ぬまで、「いま」という瞬間以外に人生はなかったはずなのだが。。」

小さな、ひと時の鏡から。

松下幸之助『道をひらく』に収められた「心の鏡」の一節から。

「身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが、けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随所にある。自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につながっているのである。」

あとから、共感素ができる。

エンパシームって何? Empatheme 共感素(エンパシーム)と書かれているけど。

そのお話をします。

エンパシームは、呼吸のつぎ目や静かな間あいで区切りをつけ、自然な流れをつくります。この流れに委ねて「間」をつくり、声を残すと、その場を後から手にとるように、ふりかえることができます。

エンパシームは、共通の形式・単位でその流れを記録し、表現し、共有するためのメディアになります。ひと時の落ち着いた時間をもち、間をつくる体験を、エンパシームで共有することで、自然に共感の力が引き出されるからです。

そもそも、エンパシームという名前はどこから来ているの?

こういう経緯があります。

アンドレ・マルティネは、人間の言語における「二重文節の原理」を唱え、言語が持つ最小の単位を「形態素」(Morpheme)と、その形態素を構成する最小の音形を「音素」 (Phoneme)と呼びました。

やり直せるチャンス

全米大学バスケットボールのコーチ・ジョン・ウッデンのことばから。

If you don’t have time to do it right, when will you have time to do it over?”
(ちゃんとやる時間がない?じゃ、いつちゃんとやり直すのかい?)

物事はきちんと、丁寧におこなうことで身につきます。でも、時間がないからできない。練習でも、つい、めんどうくさいところを端折って、一度ぐらい、たいした影響はないだろう、と考えたりするもの。

数秒のことなのだけど、それができない。あとでちゃんとやるから、大丈夫。本番の時は気をつけるから。誰にでもあるでしょう。

共感をのせるパレット

先人のことば、「いまを生きる」知恵。
それらをどのように受け取り、じぶんと結びつけて活かしたらよいのでしょうか。

中田孝次さんは、こう書いています。
われわれにとって本当に必要なのは、一人の哲学者の思想体系全部、一人の文学者の作品すべてというようなものではない。一人の哲学者の、ほんのわずかな言葉、一人の文学者のほんのわずかな言葉、それが自分の中に入って、核となって、根を下ろし、そこから根がはえていくときに、それが自分のものになる。

そして、ゲーテのことばを引きます。
「世の人は常に独創の話をするが、どういう意味だろう。生まれるとすぐ、世界は影響し始め、死ぬまでつづく。一体エネルギーと力と意思と以外に自分ものがあるか。もし私が偉大な先駆者や同時代の人に負うた点を一々あげることができたら、残るところは極めてわずかだろう。(エッケルマン『ゲェテとの対話』)