Empathemian 『Just like phoneme』

エンパシームって何?

Empatheme 共感素(エンパシーム)と書かれているけど。

そのお話をしましょう。

エンパシームは、呼吸のつぎ目や静かな間あいで区切りをつけ、自然な流れをつくります。
この流れに委ねて「間」をつくり、声を残すと、その場を後から手にとるように、ふりかえることができます。

エンパシームは、共通の形式・単位でその流れを記録し、表現し、共有するためのメディアになります。
ひと時の落ち着いた時間をもち、間をつくる体験を、エンパシームで共有することで、自然に共感の力が引き出されるからです。

そもそも、エンパシームという名前はどこから来ているの?

こういう経緯があります。

アンドレ・マルティネは、人間の言語における「二重文節の原理」を唱え、言語が持つ最小の単位を「形態素」(Morpheme)と、その形態素を構成する最小の音形を「音素」 (Phoneme)と呼びました。

すべての自然言語には「音素を組み合わせることで、膨大な数の形態素が得られる」という特徴があります。つまり、音声言語とは、音素という限られた数の表現(発音)を組み合わせて、無数のパターンを生み出すしくみだといえます。

言語を構成する単位「音素」(Phoneme は、フォニームと発音します)の組み合わせが「ことば」をつくる。

あたりまえのように聞こえますが、マルティネがこの事実を発見し、原理として唱えるまで、そのような考え方はありませんでした。
画期的なアイディア、コロンブスの卵だったのです。
世界を表現するために「ことば」は無数に必要になりますが、人間の表現方法(発音)は限られているので、こうした方法が編み出されたのです。

共感素「エンパシーム」も、この考え方にならっています。

Empathemeという命名は、Phonemeになぞらえたもの。

共感 (Empathy) という現象の最小単位になるという意味で、Empatheme。

語尾のemeは、最小単位、素(もと)という意味。

日常、誰もがすごす「いま」というひと時にも、無数の「いま」がありますね。その中には、共感的な「いま」もあるでしょう。 共感的な「いま」、とは、じぶんと相手がふれあい、結びついて感じられる、「わかちあいの瞬間」という意味です。そのような「共感の瞬間」をとりだし、ひとつ、ふたつと数えられるような瞬間のパターンとして、手にとるようにふりかえったり、わかちあったりすることを実現したものがエンパシームです。

それが、なぜ「共感の素」なの?

共感という現象は、自然に沸き起こる気持ち、無意識的なものですよね。「よーし、これから共感するぞー」というふうに意識してつくりだすわけにはいきません。共感は、「あー、じぶんは相手に共感しているんだ」ということに気づく、というふうに、あとからやってきます。落ち着いて素直な気持ちになれた時、共感しているじぶんに気づくということです。

ということは、もともと、じぶんと相手の間に、共感の素(もと)になるようなもの、ことばのふれあいがあったということですね。
だから、エンパシームをつくれば、それが自然に共感素になる。エンパシームに小さく、共感素と添えているのは、そういう意味です。
エンパシームは、共感素になる時間の単位。そして、共感という大切なテーマ(theme)を表現したものです。

「英プラ」は、エンパシームをつくり、使ってみる、いちばん簡単な方法です。
英語ということばを使う場で、体験できます。
エンパシームには、声のことばや、じぶんの姿勢、周囲の場の空気のパターンがとりこまれています。
じぶんをふりかえり、みんなとエンパシームをわかちあうことで、ふだんは気づいていないことに、気づきやすくなります。

エンパシームは、間(ま)の出力。

エンパシームは、あとから、共感素になる

エンパシームは、じぶんで気づくための、鏡。

Practice Empatheme. It’ll come later.(やってみたことが、後から実感になる)

「じぶんに手入れをするプラクティス [あゐてにふすいま]」

「エンパシームで解決する英語学習の根本的な課題」

「修養のイノベーション (1) エンパシームでひらく路」

「「学び」を助ける力に」

「エンパシームで希望のみちをひらこう。」

出典・参照:アンドレ・マルティネ『一般言語学要理』。坂口立考『エンパシームでひらく路』、「英プラガイド」

アンドレ・マルティネ