共感の精錬 (11) サイエンス/アート/フィロソフィーをプラクティスに結いあわす
現代の文明社会をよりよく生きる手がかりは、すべての人の「じぶん」の中にある。きっかけは、思いが精錬され、実感に変わる時である。じぶんを資源として、きっかけは後から遡ってできる。その縁をもとにして新しい源泉ができる。ひとりのじぶんが資源になり、素材になり、未知の可能性になるという循環の回路をみんなでともに歩むことができる。

みちびく –
静かに、心を落ち着ける
ちかづく –
手本に、近づける
ゆだねる –
ゆだねて、声をカタチに
くりかえす –
じぶんの声を聞く
とりだす –
ふりかえって書く
きいてみる –
じぶんにたずねる
よりそう –
人のことばによりそう
現代の文明社会をよりよく生きる手がかりは、すべての人の「じぶん」の中にある。きっかけは、思いが精錬され、実感に変わる時である。じぶんを資源として、きっかけは後から遡ってできる。その縁をもとにして新しい源泉ができる。ひとりのじぶんが資源になり、素材になり、未知の可能性になるという循環の回路をみんなでともに歩むことができる。
ものごとを身につけるための真髄は「痛み」です。じぶんでやってみて、失敗を「肌身で感じて」深くしっかり身につけられるのです。たとえば、英語の学習。話そうとするから、話す人になれるのです。「走らないマラソンランナー」はいないのと同じこと。うまくいかないという、微かな、失敗の痛み。その体感こそが、プラクティスの真髄です。す。
木を見て森を見ずということばがあります。でも、木と森とを同時に見ることはできません。そもそも、ながめるだけでは、森も木もわかりません。森の中を歩く体験がいります。森のまわりを歩く体験がいります。いえ、もっと大切なことはおなじ路を何度も歩くことです。気づいていなかったことに気づくことは、じぶんの未知に出会うことです。
Can’t see the forest nor the trees if you don’t walk again.(何度も歩いてみなければ、森も木も見えない)
