失うことはまなぶこと
なにひとつ、不用なものなどない。ふだん、Given「与えらたもの」として、考えることから、切り捨てているだけのことなのだ。あたりまえになっているから気がつかない。すべての痛みも、まなびである。痛みのおかげで、身心はひとつであること思い出せる。道具も環境もふくめて、ひとつのじぶん。そのじぶんにも共感することが大切である。
Pain helps me learn.
みちびく –
静かに、心を落ち着ける
ちかづく –
手本に、近づける
ゆだねる –
ゆだねて、声をカタチに
くりかえす –
じぶんの声を聞く
とりだす –
ふりかえって書く
きいてみる –
じぶんにたずねる
よりそう –
人のことばによりそう
なにひとつ、不用なものなどない。ふだん、Given「与えらたもの」として、考えることから、切り捨てているだけのことなのだ。あたりまえになっているから気がつかない。すべての痛みも、まなびである。痛みのおかげで、身心はひとつであること思い出せる。道具も環境もふくめて、ひとつのじぶん。そのじぶんにも共感することが大切である。
Pain helps me learn.
ジェームズ・ギブソンは、知識は頭の中ではなく、環境自体の中に存在していると考えました。レモンのすっぱさも、木々の葉のざわめきも、人間が感じ取るからこそ、すっぱさとか、ざわめくといった性質が現れてくるのです。相互作用によって外界が方向づけする性質をアフォーダンスと呼びます。エンパシームにはこんなアフォーダンスがあります。
デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの絵。静謐のじかん以外、なにもない場。とびらが静謐なのではなく、それが感じられる時だけ、心が静謐になるのです。だから、いま、見ているあなたの心が映っているのです。Less is more. Less(それ以外は何もない)を深めると、more (それしかないもの)が引き立ちます。
Less is more.
世の中には数えきれないほど、よい習慣づくりの教本があります。とてもよいことが書かれています。が、なかなか続きません。なぜでしょうか?
実は、思いや意思だけでは、続かないのです。自然に続くような「しくみ」がだんだんできてくるような、手助けと環境がいります。習慣は、つくろう、がんばろうという意識でつくるのではなく、小さなプラクティスが毎日つながり、路のようになって続いていく、そのプロセスが習慣になります。そして、じぶん自身が、小さなプラクティスが続いていくしくみの一部になることです。
何を身につけるせよ、すべての習慣づくりに共通することがあります。書かれたものを読むだけではなく、実際に身体を動かしてやってみることです。はじめはやればできることと思っていても、次第に続く力が衰えていきます。修養トレイルは、小さなプラクティスの場、道具、方法を集約し、また、人と助けあえる環境を提供します。
毎プラは、テクノロジーに満ちあふれた現代生活の中で、あなたのミニマルな、1日5分と身のまわりの環境を活かします。
ミニマルとは、ただ短いという意味ではありません。いちばん肝心なことだけに限る、そこに集中する、という意味です。
プラクティスのエッセンスは、小さなくりかえしと、ふりかえりです。
なんどもくりかえす体験と、それをふりかえる実感。そしてそれをわかちあえって自覚できること。
むずかしく考えることは、ひとつもありません。
目的や結果を考えるすぎると自意識が過剰にはたらいて、プラクティスの持続が損なわれます。そうではなく、流れに委ねることです。
エンパシームは、自然な流れで間をつくり、1日の循環にします。それが続いていくように工夫された発明特許です。
あなたの小さなプラクティスが、身近な世界に役立ち、世界をつなぎます。
エンパシームアプリをダウンロードし、あなたのアカウントを申し込んでください。
ガイドにしたがって、ためしてみてください。
気を楽にして、静かにすわると、自然にはじまります。