じぶんに声できいてみる

私たちは、ずいぶん小さい頃から、人に教わったことを優先してきたようです。「問題」と聞くと「答えを出さないといけない」というふうに。でも、本当に大切なことは、問いを立てることです。問題を考えることが、基本原理。そう、私たちの日常も、じぶんに聞くことなのです。じぶんにたずねるだけで、物事はちがって見えてきます。

Am I relaxed? 身体の力を抜いた?

やわらげる掛け声 [UNのつく動詞]

英語には、unで始まる動詞があります。例えば、undoには「やり直す、元の状態に戻す、反対方向に向ける、やわらげる」といった意味があります。一度してしまったことを、文字通り「やり直す」ことはできない時でも、undoできます。それまでと反対方向に心を向けること。何かに行きづまった時、空にUnの文字を思い浮かべてみましょう。

undo x [uneasy] → easy (落ち着かない状態を和らげるかけことば undoで、ざわついた状態に落ち着きをもたらす)

空気つぶの海で生きている [音って何?]

音って何?空気分子が運動してできる気圧の変化のこと。空気つぶの動きが波のように伝わり、濃淡ができます。耳は速い気圧変動を敏感に捉えます。あなたの声も声帯のふるえでつくる気圧の変動。私たちは、空気のつぶの海の中で暮らしているのです。エンパシームは、目に見えない空気つぶの動きを、見えるようにイメージにして表現します。

We live in the sea of air particles.(空気のつぶの海の中で暮らしている)

もとの声ことばに戻してみる

私たちは小さい時から、相手とむきあい、声のあることばで関わりながら、同時に「内なる」ことばの世界をつくりあげています。それによって、思索、じぶんを勇気づける一方、自分でじぶんを傷つけたりします。物事がうまくいかない時は内語が行きづまる時。肉声でことばを外に出しましょう。そのたびに、浄化されたインナースピーチができます。

The true self is in the inner language.(真の自己は、内なる言語の中にある)

想像を声にする旅

『旅の絵本』は自分が旅人になって旅をする絵本です。文字はありません。旅の風景の中にはいって楽しむ絵本です。本全体がひとつの旅、見ひらきのページが旅の情景です。いろんな物語のひとこまが、あちこちに、ちりばめられています。声に出して読む旅ができます。あ!こんなところに!ラ・マンチャの騎士キホーテ(ドンキホーテ)がいました。

Discover yourself.(じぶんに出会う)

声が思い出てくる(記憶は声に中に)

50年近く前の光景が、じぶんの内側から湧きあがってくる。はっきりとした声のセリフが聞こえる。人間は息をして生きている。その息のふるえが声になり、ことばになり、声ことばの空気をつくる。その空気は、時間も空間も超えて縦横無尽につながっている。一生に一回の出来事もすべて、声のことばで刻印がされ、自発的に「思い出てくる」のだ。

Memories are all in voice.(すべては声の中に)

声をかければ、じぶんでひらく。(ひらけ、ゴマの秘密)

Open, Sesame.(ひらけ、ゴマ)は、アラビアンナイト『アリババと40人の盗賊』にでてくる魔法のことば。このことばを唱えると、とびらが開く。実はこのことばは「ゴマ」に向かって「じぶんでひらいてね」と呼びかけているのです。声をかけることで、ふるまいを引き立てます。声をかけてあげれば、じぶんでひらく。声は手伝う力。

Open, Sesame.(ひらけ、ゴマ)

脳を活性化させるしくみ ③ [声の入力・出力]

ふだん声にだして話すことばを「セリフにする」ことで、脳は活性化します。ただ話すんじゃなくて、相手とふれあおうとする、ことば。「音のつながり」を、いったん心にとめて出す。じぶんの声と、相手のセリフを受け入れる。身体でセリフを「出し入れ」することは、相手とふれあい、つながりをつくることです。その時、脳が生き生きとします。

Output what you input.(入力したものを、出力する)

声にうつるもの (Congruence)

声はじぶんの鏡。静かにすわり、じぶんに向けてひと言、声にすると、その声の調子でことばの意味と表現の調和がわかります。英語にcongruenceということばがあります。言っていることと、行っていることが一致している調和の状態を表します。実は、あなたのペットの犬も、あなたのことばの意味と表現をちゃんと捉えています!

Your voice reflects your Self.(声はじぶんの鏡)

レッスンは、教わるものではなく、身につけるもの

教えてもらうことは学ぶための最善の方法のひとつ。でも「教えてもらう=身につくこと」ではありません。いくら教えてもらっても、じぶんでしないとできるようにはなりません。プラクティスしてはじめて、学びがはじまります。身体を使って身につけることです。身体を使うとは、脳の各領域を活性化させることです。身体を使うと心が働くのです。

Lessons are not given, they are taken.(レッスンは与えられるものではなく、学びとるもの)