エンパレットのカテゴリー Inspire 発想

思い出すことは、じぶんをつくること

記憶とは、思い出して、ことばを育てること。ひと言、身体を使って声のアウトプットしてふりかえるという小さな行為です。声に出しておわりではありません。それはあなたのインナースピーチになります。インナースピーチとは脳内ですぐ再現できることば。あなたの身体に染み込み、いつも共にあることば。思い出してじぶんをつくっているのです。

Cultivate your soul.(じぶんを耕せ)

だれにでも見えないものが見える [排水管からのヒント]

排水管の詰まりを解決するエピソードに、プラクティスのヒントがあります。 ボトルネックは原因ではなく、日々少しずつ排出物が堆積する結果であり、ものごとが持続する時の経過地点です。 何かが滞った時は、静かに耳を澄まして音を聞くこと。手に触れて感触を確かめることです。音や感触をイメージに変えると、見えないものが見えてきます。

Just listen. (耳を澄まして)

直球という変化球

直球とは、実は変化球です。地球上では重力がかかるので、飛んでいるボールも下に落ちるはずですが、落ちずにまっすぐボールが飛ぶのはなぜでしょう?飛行機が飛ぶ原理と同じです。ボールには縫い目があり、回転がつくことで上に持ち上がる力(揚力)がつきます。直球ということばがフレームになっているため、見方を反転させてみると新鮮です。

Why don’t you give it a try?(じぶんで考えてみよう)

原因は後からできる!

スピノザは「原因は 結果の中で自らの力を表現するもの」だと言います。私たちは、原因によって結果が引き起こされる、と考えますね。でも、ひとつの出来事は様々な要因が組み合わさっているのに、結果から判断して、あとから「原因→結果」のように定めるのです「考え方を変える」には、順序をさかさまにしてみれば、ヒントが得られます。

Try this. See it the other way round. (反対向きに見てごらん)

ふしぎのおかげ(おどろくとは?)

「おどろきは、知ることのはじまり。」ソクラテスのことば。(書物を残さなかったソクラテスのことばは、プラトンによって残されたものなので、プラトンのことばでもあります。)おどろくとは、ふしぎにふれること。身のまわりに、たくさんあります。静かに心をひらけば、自然にやってきます。近づき、ふれて、じぶんと結びつけてみることです。

Things are wondrous. You don’t have to wonder.(世界はふしぎ。無理しておどろかなくても)

 

心のひと [洞窟のアーティスト]

氷河期のアルプス。フランスのショーヴェ洞窟一帯は多くの動物と人間が暮らしをともにできる、氷の谷間でした。壁画の描かれている洞窟は、入り口から何百mも入った奥まったところにあります。動物を描くということは人間の精神にとって根源的なこと。生きているものを描くことは精神的な営み、心のできごとです。人間は昔から、心の人なのです。

We are mind.(人間は心の存在)

コミットメントとはじぶんと結びつけること

マイケル・ポランニーはこう言いました。「人は語れるより、多くのことを知っている」。暗黙知ということばで知られます。人間の知性の本質は「コミットメントによる知」だと言うのです。「コミットする」とは、物事をじぶん自身としっかり結びつけることです。心をこめる。身をもって関わる姿勢が学びと知性の本質。共感を活かすことです。

We know more than we can tell.(人は語れるより、多くのことを知っている)

ねがいを生きよ

人生ということばを聞くと、じぶんが生きる以前に、漠然と「人生なるもの」があるかのような気にさせられます。でも、それは「人生」という概念上のこと。便宜的に「人の一生」を一般化しているだけです。人生は夢見るものではありません。夢を生きるのです。夢を生きるとは、ねがうこと。ねがうふるまいを、ふりかえって確かめることです。

Don’t dream your life. Live your dream.(ねがいを生きよ)

詩はじぶんを知るきっかけ

渡邊十絲子さんは言います。「詩は、わたしがまだ知っていない「わたしの感じ方」をつくるきっかけである。」じぶんの身体を使って、じぶん自身にむけて、ことばを声でアウトプットすることによって、はじめて気づくことがあります。いえ、そのようにしないと、じぶんでは気づいていない、「気づくべき何か」が湧き上がってこないのです。

You can only realize something when you say it.

レッスンは、教わるものではなく、身につけるもの

教えてもらうことは学ぶための最善の方法のひとつ。でも「教えてもらう=身につくこと」ではありません。いくら教えてもらっても、じぶんでしないとできるようにはなりません。プラクティスしてはじめて、学びがはじまります。身体を使って身につけることです。身体を使うとは、脳の各領域を活性化させることです。身体を使うと心が働くのです。

Lessons are not given, they are taken.(レッスンは与えられるものではなく、学びとるもの)