水にうつる月のように

新渡戸稲造『修養』に、ある古歌が引用されています。

うつすとは 月も思はす
うつるとは 水も思はぬ 広沢の池

「月は水に映らんとして、映るのでない。水も月を映さんとして、流れておるのでない。流れておる間に、月が自然に映るのである。to beというのは、月が自然に水に映り、水が自然と月を宿すがごときことである。」

映そうとするのではなく、自然に映っている姿。
飾らず、構えず、素のままのじぶんの姿。
水にうつる月のように、そのままの姿でうつっているじぶんが、じぶんです。

それは、無理に、意識してつくったものではなく、自然の流れにあらわれたふるまいの中にあります。

自然とのふれあいの中に

テクノロジーということばを聞いて、どんなことを思い浮かべますか?

技術の研究や開発に直接関わっている人も、自分の日常は直接関係のないという人も、テクノロジーとまったく無縁に暮らしているわけではないですよね。

テクノロジーとは、人間の外側で、人間の力を補ってくれる便利なもの、役立つしくみ。それは、もともと、人間が生み出したものです。また、これからも、そうあり続けるでしょう。

伊丹敬之さんは、「技術」を次のように説きます。
「自然が内包しているきわめて豊かな論理の全体の中から、人間の認識の中へ体系的に切り取られ、他者による再現や利用が可能なように体系化された論理的知識の総体」

🌱自然の力をだれもが活かせるようにする

くりかえしは、いのちのリズム。

柳澤桂子『 いのちとリズム』から。

「宇宙には、10の22乗個の星があり、10の80乗個の素粒子がある。生命が誕生してからこの方、太陽は10の11乗回のぼったり沈んだりしている。人間は地球上に10の9乗かい繰り返され、独りの人間を構成している細胞は6の14乗回繰り返されている。

宇宙の中の時間的/空間的に繰り返し現象にまで考えを進めるとき、生きていく上での安心感が、この繰り返し現象の予測になりたっている、という考えに導かれる。

じぶんへのサイエンス

かつて、中谷宇吉郎は、こう言いました。
「科学とは、再現可能な現象を自然から抜き出して、それを統計的に究明していくこと。まず、観察によって、ある現象やものの性質をよくみること(定性的研究)。測るべきある性質がきまった場合に、測定によってそれを数で表す。数で表されたら、それに数学をつかって知識を整理統合していく(定量的研究)。

科学の本質は、人間(の科学的思考)と自然の協同作品である。

電気というひとつの題目だけをみても、考え方が始終変化している。電気があるとは「空間がゆがむことなのか」、「電子というごく小さい玉が空間を走ったり振動したりしていること」なのか。玉の性質もあれば波の性質もあるようなひとつの数式自身が電子だということになったが、マイケル・ファラデー以前も以後も、電気現象自身は何も変わっていない。

じぶんが、相手になって。

『ダーウィンのミミズ』ってご存知ですか?

チャールズ・ダーウィンといえば、『進化論』。生物の進化のしくみを説いた人ですね。あるいは『ビーグル号航海記』でしょうか。

実は、ダーウィンは家の庭で40年間、ミミズを相手に土の世界を研究した人でもあります。ミミズが土壌の運搬の担い手であることを明らかにしました。

ミミズの力で地表に積もる土の量は、10年間で5センチぐらいの厚さ。

ミミズが土を耕しているのです!

みずからに語り、つづる。

ローマ皇帝であり、哲人であったマルクス・アウレリウスの『自省録』から。

英語では 『Meditations』(瞑想録)という題で知られる、ギリシャ語の原典は「自分自身へ語られたもの」という意味があります。

アウレリウスは、日々、静かにじぶん自身と対話をもち、自らに語り、自らにつづりました。

その日々の糧が「自省録』です。

じぶんの自然と、宇宙の自然とに従って、まっすぐな道を歩め。
これらふたつの道はひとつのものだ。

多くを生きる

『生きがいについて』の中で、神谷美恵子さんはこう語ります。

ただ、呼吸しているだけでなく、生の内容がゆたかに充実しているという感じ、これが生きがい感の重要な一面ではないか。

ルソーは『エミール』の初めのほうで言っている。

最も多く生きた人とは、生を最も多く感じた人である。

私たちは、じぶんよりもずっと大きな「自然」に包まれています。宇宙の一部です。

共感力を活かす

じぶんらしく、精一杯生きる。
そのために、じぶんひとりでできることは何か?

どのように生きなさい、という教え(道徳)や価値基準(教育)に対して、「じぶんが手持ちの力
で生きていくこと」を「倫理」として説いた人がいます。
その名をスピノザと言います。

人間の本質とは、その人の自然な力が発揮されることである。
スピノザは、人間の「じぶんらしい」の本質的な性質を「コナトゥス」と呼び、ひとりひとりの「コナトゥス」を大切にできる自由について説きました。

わけへだてをしない

どうしたら、心は自由になれるのでしょうか? 『荘子』に、こういうことばがあります。

常に自然にりて生を益さざる。

「自分にとって何のためになるかということを考えるのではなく、物事の自然に従って生きなさい」という意味です。

自分にとってよい・わるいという「わけへだて」をしない。どんなをことをしたらよいのでしょう?

『荘子』に、「胡蝶の夢」と呼ばれる寓話があります。
ある時、荘周(じぶん)は夢の中で蝶になっていた。心ゆくばかりにひらひらと舞う蝶の身になって、じぶんが荘周であることを忘れていた。