Empathemian『広沢の池にうつる月』

新渡戸稲造『修養』に、ある古歌が引用されています。

うつすとは 月も思はす
うつるとは 水も思はぬ 広沢の池

「月は水に映らんとして、映るのでない。水も月を映さんとして、流れておるのでない。流れておる間に、月が自然に映るのである。to beというのは、月が自然に水に映り、水が自然と月を宿すがごときことである。」

映そうとするのではなく、自然に映っている姿。
飾らず、構えず、素のままのじぶんの姿。
水にうつる月のように、そのままの姿でうつっているじぶんが、じぶんです。

それは、無理に、意識してつくったものではなく、自然の流れにあらわれたふるまいの中にあります。

修養とは、自然にあらわれ出たふだんの姿勢をふりかえることです。ですが、私たちは、しぜんの姿をふりかえることよりも、意図的に何かをしたことばかりに気がいくものです。達成したい目的のために手段を用い、その結果(達成率)を見ることが大切だと思っていますよね。

その理由は、これまでそうやって教えられてきたこともあるでしょう。また、実際、短期間でスキルを習得するには、意図的にやって結果をみる方法は有効です。でもその一方で、短期的な目的ではなく、よい姿勢を身につける「ゆるやかな方向性」をつくる修養の成果、進捗、習熟を測ってみる、という考え方は、これまで、あるようでありませんでした。そのような方法もなかったからです。人生、何をするにも、継続する力が必須条件であることは言うまでもありません。それなのに、意外にも私たちは、修養の大切さに無頓着でいるのかもしれません。

エンパシームは、まさにこの点にフォーカスして、修養の姿を映し出すものです。それは、何をしたかだけではなく、どのような姿勢であったかをいっしょに写します。意図的に、作為的にするのではなく、自然な流れで「間」ができる時の、その小さなふるまいを、あとでたどれるように残します。生活全部ではなく、1日のほんのわずかなじかんにあらわれる、しぜんな姿をふりかえり、たしかめること。


エンパグラフ「姿勢の鏡」

エンパグラフに写るものは、何をしたか、だけでなく、何をしなかったか、でもあります。
それは「静かにすわり、何もしないで、心を落ち着ける」です。
従来の「目的・手段・達成率」評価の考え方には、ふだんの心の姿勢は映りません。
エンパシームは、池の水にうつる月のように、自然のまま映っているところを、そっと見せてくれる鏡です。
そして、その鏡を見て、ふりかえるじぶんの声をひと息ごとに区切っておさめる、気づきのための「タイムカプセル」です。

Like moonlight on water.

そのまま映ったじぶんをふりかえろう。


じぶんをふりかえることなしに、習慣を身につけることはできません。でも、アクティビティ・トラッキング(行動の記録を達成率で評価する)だけでは、じぶんの姿、じぶんの変化(ねがい)の方向をたしかめることにはならないのです。ふだんのじぶんがそこに映るようにして、それを写して、あとからたしかめることで、つづいている状態を大切にする場をもつことなのです。

「3歳の心にも、ことばは響く」へ

「英語学習の根本的な問題をエンパシームで解決する」

出典・参照:新渡戸稲造 『修養』

新渡戸稲造