心の引き算(足し算ばかりでなく)

心の引き算は「気づき」の具体的なプラクティス。ふだん、何でもあたりまえに思っているから気づかない。気づいていないことに気づくための、具体的な方法が心の引き算です。例えば、感謝の心とは、それが起きなかったことを想像し、声に出してじぶんに聞こえるように言えること。What if (もし〜だったら?)ということばがカギ。

What if it didn’t happen.(もし、起きなかったら?)

修養の知(フロネーシス)

フロネーシス (Phronesis)は、身をもってする体験によって培う知恵のこと。アリストテレスは、温和、親愛、正直、謙虚、勇気、共感を最も大切にしましたが、これらの徳をたばねる大きな知恵をフロネーシスと呼び、心を落ち着ける修養を説きました。特別なことをして得るのではなく、ふだんの生活で養う、プラクティスの知恵です。

Practice is wisdom.(プラクティスが知恵)

小さな、ひと時の鏡から。

心の鏡ということばがあります。謙虚な心があれば、すべての物がじぶんの心を映す鏡になる、と。そうありたいものと思いつつも、ふだんは、すっかり忘れてしまいます。どんなプラクティスをしたらよいのでしょうか。「私」の人格を映すのではなく、まず、ひとつひとつの[ いま ] だけを、小さなふるまいで映す鏡がエンパシームです。

Reflect yourself on Empatheme.(エンパシームに映して、ふりかえろう)

Inspire Change [じぶんは変われる]

じぶんが変わるとは、できなかったことが、できるようになること。むずかしいと思っていたことが、やさしくなること。エンパシームは、あなたの「じぶんを変える」チカラになります。変わるチカラの元、あなたの身体の中と、身の周りにあります。エンパシームは、あなたの肉声にカタチに変え、つながりを身につけるチカラを生み出します。

じぶんに手入れをするプラクティス [あゐてにふすいま]

ものごとが続かない理由は、空気抵抗や摩擦に似ています。私たちはふだん、やればできるはずとか、続ければいいんでしょ、と思いがちですが、それだけでは、摩擦や抵抗を無視して、また補助や補給を考えないのと同じです。体を動かす時には水を補給します。何かを続けるには、摩擦や抵抗を減らし、補給をする必要があります。自然の理です。

修養と共感のイノベーション (3) エンパシームでひらく路

テクノロジーも小さな身体所作の友になり 、じぶんを育てる修養の手助けになるために、エンパシーム (Empatheme) は編み出されました。エンパシームは、毎日のプラクティスで「じぶん自身の後ろ姿をそっと写す鏡」の発明。また、声のカプセルをわかちあって、 身近な社会で広く活用できるメディアです。

毎日がプラクティス

私たちはふだん、ケタ違いのように思える回数をこなして暮らしています。歩くことも、話すことも、感じることも、無意識的に身体を動かしてプラクティスしているのです。プラクティスとは身体動作として毎日することです。はじめのうちはなれなくても、くりかえしくりかえし、ひとたび基本動作が身につくと、忘れることはありません。

毎日が、プラクティス。(Practice Every Day)

英プラの路を共にゆこう (1)

学校で長い時間をかけて英語の勉強しますね。英語の教材や参考書、英語塾、英会話スクール、英語アプリ。数えきれないぐらいあります。ところが、これだけの時間と労力をかけているのに、英語の音は聞き取れず、じぶんから話すのはたいへんです。なぜ、なかなか身につかないのでしょう?なぜ、がんばる努力が報われないのでしょうか?

Why is that?

共感の精錬(フォトエッセイシリーズ)

「共感の精錬」というテーマでつづるフォトエッセイ(13回シリーズ)です。サイエンス、アート、ヒストリー、フィロソフィー、テクノロジー。分野のわけへだてなく、想像を自在に結びあわせる試み。現代の文明社会をよりよく生きる手がかりは、すべての人の「じぶん」という資源を精錬することにあります。共感を精錬するプラクティスこそ。