待つプラクティス
誰もが自分の得を追求として前のめりになり、待つことを拒む姿勢になっている現代社会。待つとは「ある状態になること、その時の来るのを期待すること」です。相手が自然なら受け入れて待つことができるのに、日常生活は、待つことがガマンすること、損することのように思えてしまいます。待つプラクティスがいります。それは声を聴くことです。
All things come to those who wait.(すべては、待つ人に訪れる)
みちびく –
静かに、心を落ち着ける
ちかづく –
手本に、近づける
ゆだねる –
ゆだねて、声をカタチに
くりかえす –
じぶんの声を聞く
とりだす –
ふりかえって書く
きいてみる –
じぶんにたずねる
よりそう –
人のことばによりそう
向きあうことが大切。相手にも、じぶんにも。そう言われます。でも、いつも向きあえるわけではありません。向きあうことが大切ということばが出てくる時。それは向きあいづらい何かがある時です。心が不自由な時に、向きあえ!というのは、矛盾していませんか?向きあう以前にすべきことがあります。向きあう以上に、大切なことがあります。
ライプニッツは、宇宙の、これ以上、わけられない最小の単位を「モナド」と呼びました。人間の自分、「私」ではありません。宇宙のあらゆる物事のじぶんです。ミミズでも砂でもモナドのじぶんです。宇宙は共感の結びつきでできています。私たちは、つながりあう宇宙に生まれてくるのです。このじぶんも、つながりあったモナドのひとつです。
I am a piece of the universe. I am the universe.