ふれあいそのものが、ことばだった。
人間の言語の起源は、音声が先か、身ぶり手ぶりが先か?現代の私たちにとって、身体の自然、無意識的な動きと、声のことばによるコミュニケーションは切り離せません。身心のふるまいが表われて、声ことばになる。声ことばが湧き上がり、ふれあいになる。ふるまい全部がことば。ふれあい全部がことば。ことば以前に相手がいたのですから。
Interactions came before words.
人間の言語の起源は、音声が先か、身ぶり手ぶりが先か?現代の私たちにとって、身体の自然、無意識的な動きと、声のことばによるコミュニケーションは切り離せません。身心のふるまいが表われて、声ことばになる。声ことばが湧き上がり、ふれあいになる。ふるまい全部がことば。ふれあい全部がことば。ことば以前に相手がいたのですから。
Interactions came before words.
アイディアが枯渇している状態を、よく「ネタ切れ」と言いますね。ネタとは、もともと、タネのことです。タネはまかないと芽が出ません。タネまきとは「おもしろそうな話の素材」を集めること?ちがいます。はじめに決めつけないことです。何がおもしろいか、はじめからわかりません。じぶんとつながりをつけておけば、あとからネタになります。
You never know.(後でわかる)
日常のほとんどは「無意識」です。無意識は「意識がない」ことではありません。意識も無意識も、環境と相互に作用しあう身体の働きであり、そのあらわれです。刻々と変化する状態の全部をあわせて「心」と呼びます。エンパシームには、意識と無意識の境目の、身体行為の縁を写し、プラクティスに利用するための「じぶんのピース」です。
私たちの身体内には神経を伝わる電気があります。実は、意識や運動を支えているのが「生体電気」現象です。電気はじぶんの身体内の出来事なのですが、身体が自律的に働いてるので、実感は持てません。ただし、かいま見ることはできます。虫歯や神経痛など「神経にふれる」激痛が走る時。つらいですが、身をもって実感できる、学びの機会です。
Do you know what you are made of?
発明とは、問題を解決するような役に立つものをつくることではなく、まず、問題を発見することです。これまでそのようには誰も見ていなかったことに、新しい見方をつくること。解決策を探すのではなく、問題を探すのです。発明は日常生活の中で「あたりまえになっている」じぶんの見方に新しい風をいれること。逆さまに想像してみることです。
Create ideas that you can find problems to solve with.(解決すべき問題を見つけるためのアイディアをつくれ)
なにひとつ、不用なものなどない。ふだん、Given「与えらたもの」として、考えることから、切り捨てているだけのことなのだ。あたりまえになっているから気がつかない。すべての痛みも、まなびである。痛みのおかげで、身心はひとつであること思い出せる。道具も環境もふくめて、ひとつのじぶん。そのじぶんにも共感することが大切である。
Pain helps me learn.
ふだん私たちは「いのちがあるから、生きている。いのちは生命体。ひとつの個体が生きている。」と考えます。でも実は、そうではなく、生きていることを「いのち」と呼ぶ方がふさわしいのです。なぜなら、生きているという現象は、まわりの環境とのやりとりなしは、ありえないからです。いのちがひとつだけ、先にある、ということはないのです。
Inspire imagination.