禅と言語習得 ③ 以心伝心(心があってことばが身につけられる)
以心伝心は、不立文字と対になることばです。私たちは、ことばがあり、それを使ってコミュニケーションができると考えていますが、実はそうではありません。話は逆。英語のプラクティスをするとわかります。文字でことばを知っているだけでは、コミュニケーションはできません。音でコミュニケーションするからことばを使えるようになるのです。
Connect your heart.(以心伝心)
以心伝心は、不立文字と対になることばです。私たちは、ことばがあり、それを使ってコミュニケーションができると考えていますが、実はそうではありません。話は逆。英語のプラクティスをするとわかります。文字でことばを知っているだけでは、コミュニケーションはできません。音でコミュニケーションするからことばを使えるようになるのです。
Connect your heart.(以心伝心)
不立文字は、第二言語学習にぴったりのことばです。文字依存が強いと、音を聞き取る練習がむずかしくなります。ただたくさん聞いてもダメなのです。音の全体感をまねて、似せられてはじめて、聞こえるようになります。耳を鍛えるのに、文字が邪魔するわけですね。意味をわかろうするから、なおさら、音を聞いていないのです。
Be rhythmic.(リズムになりきって)
坐禅は、静穏に坐り、なりきる姿勢をつくります。大和和尚は言います。「仏の行いをしている時、人は仏になっている。仏になるために修行するのではありません。プラクティスしている時だけが、仏。英語トレイルも、禅の「なりきる」に倣います。手本のセリフの全体感をまねます。まねて、なりきって、似せられたかを比べて確かめるフローです。
Act of Becoming.(なりきる)
私たちは、秒速 600kmで宇宙を移動しています。地球は太陽系の一員。太陽は天の川銀河の一員。動かなくても、1日で5000万キロを旅しています。宇宙誕生時の光による「温もりマップ」。「宇宙のものさし」に照らし合わせると想像が膨らみます。ひとりでは気づけないけれど、ちがうものさしの存在を知るだけで気づけることがあります。
Change your scale.(ものさしを変えよ)
ギリシャの哲人エピクテトスのことば。「自分にないものを嘆かず、あるものを楽しめ。与えられたものを受けよ、それを活かせ。」授かったものに気づき、それを使う喜び。潜在能力とか、むずかしく考えるのではなく、じぶんの身体、声、授かったもの、例えば、このことばを声に出して言ってみましょう。すると声の力が作用して想像が湧きます。
Enjoy what you are doing. Things will get easier. (していることを楽しめば、ものごとは楽になるよ)
絵本「さかなはさかな」から学べること。さかなが、さかなにそなわった力を活かして生きているように、私たち人間も、想像したり、共感する力を活かして生きています。私たちは、絵本の中のさかなの気持ちになれます。さかなの身になっているじぶんに気づくことができます。人間に備わった「共感の力」を活かせば、創造の世界が広がります。
Fish is fish.
ふだん、ことばが先にあり、それでやりとりすると思っていますね。実は、他者との、ことば以前の対話からことばは生まれます。その逆ではありません。対話性によってことばを獲得します。私たちは相手とやりとりすることばと共に生きていて、それが内なる対話もつくります。脳内に声で発するインナースピーチで対話する存在。それがじぶんです。
I am the dialogue with myself.(対話がじぶん)
私たちは、自分の中に何か欠けたものがあると考えますね。でも本当は「じぶんに」何かが欠けているのではなくて、じぶんの存在する世界を忘れているのです。じぶんを包んでいる世界。じぶんもその一部であることを忘れているのです。じぶんのミッシングピースを探すのではなく、じぶんがミッシングピースになっていることに気づくことです。
I am the missing piece.(じぶんのほうがミッシングピース)
雲の上の空を歩いてみたい。シカゴ美術館の壁一面を飾るジョージア・オキーフ『Sky Above Clouds IV』。晩年、オキーフは視力を失いますが、99歳の生涯、絵を描き続けました。ユキさんは言います。「31年ぶりです。この絵です。空の色、雲の形。心を惹きつけて離しません。絵は心の鏡。いえ、心が絵。心が詩なんですね。」
I like my life. (生きていることが愉しい)
めぐりあいは不思議。心がひらいているといろんなことが起きます。生き物との出会いもおなじ。おなじ目線にして静かに待ちます。その場の空気の一部になることです。急に近づこうとせず、ほんの少し、待ちます。撮るのではありません。見るというよりも、聞こうとすることです。出会った時に、じぶんの心がひらいていたかどうかがわかります。
Be open. You’ll come across the unknown.(心をひらくと、未知に出会える)