雲になる

雲の気分。
トレイルとは、山辺や丘陵地帯の細い小道をたどって自由に歩くことだ。空と雲、木々のざわめき、路傍の花や虫と共に、五感に印をつけながら歩くことだ。いま、雲になっていることだ。

トレイルは右に曲がり、左に折れ、前も後ろもないが、すべての道はつながっている。ざらついた土の上を歩くと、自分の足音が湧き上がってくる。

風に漂う花々の香りに誘われて、こんな気になる。

もともとのじぶんは、空っぽ。そのまわりは、目の前の草木山河。光があり、音があり、香りがある。この空気が、じぶんだ。

向き不向きより、前向き。

ある人から、こんな話を聞きました。
「これ、自分に向いていないなーとか、よく聞きますね。だから、「やらない」ってね。不思議ですよね。自分に向いていない、って何でわかるんでしょう。まだ、何もしていないうちに。」

「自分に向いていないことは、やらないほうがいい。」誰かそんなこと言ったんですか?格言にあるの?
「自分に向いている、向いていない」っていう架空の条件づけね。「やりたくない」理由を自分でつくりだすから、何にもなかった話が、それで厄介なものになっちゃいますね、私が思うに。」

「あ、私の仕事?倉庫のマネージャしています。たくさん、ものを運ぶ仕事です。頭も使いますよ。でね、
よく、言うんですよ。」

向き、不向きより、前向き

わけへだてをしない

どうしたら、心は自由になれるのでしょうか? 『荘子』に、こういうことばがあります。

常に自然にりて生を益さざる。

「自分にとって何のためになるかということを考えるのではなく、物事の自然に従って生きなさい」という意味です。

自分にとってよい・わるいという「わけへだて」をしない。どんなをことをしたらよいのでしょう?

『荘子』に、「胡蝶の夢」と呼ばれる寓話があります。
ある時、荘周(じぶん)は夢の中で蝶になっていた。心ゆくばかりにひらひらと舞う蝶の身になって、じぶんが荘周であることを忘れていた。

毎日がプラクティス

新春の静かな山路。トレイルを歩いていて、こんな光景に出会いました。

ひょっこりと穴から顔を出しては、草をかじり、また穴に。するとまた、穴から半身のり出して、草をムシャムシャ。脇目もふらず、何度も何度もくりかえす夢中な姿は、少しぎこちない感じで、なんとも愛らしい。すぐ目の前で見守っているうちに、こんなことばを思い出しました。

歩く前に、走ることはできない。
ダナ・サスキンドさんは、こう言います。
「歩けるようになる前に、走ることはできないように、聞こえるようになる前に、話すことはできない。乳児の言語能力獲得は、声のことばに触れる回数、その家庭環境に依存する。3歳になるまでに3000万語のことばが入力されることで脳が発達する。」

包まれて、忘れている。

私は虫であり、虫は私である。

このことを悟ってからは、自然は自分のためにあり、
自分は自然のためにあることを、つくづく実感する。
そして、身のまわりのごく普通の自然が、いままで以上に大事に思えるようになりました。

画家・熊田千佳慕のことばです。どうしたら、そのような心境にたどり着くのでしょうか?

実は私にも、すこし心あたりがあります。私はカリフォルニアに移住して以来、週末には山野辺の路を歩いてきました。数えてみると、600回ぐらい、サンタクルス山麓丘陵地帯のあちらこちらを歩いてきたことになります。