素のふるまいが育つ

手の中のエンパグラフ。

ありのまま、自然にふるまったように、エンパシームの連なり、声ことばのseed、ふるまいを包む「空気」などが、たのしく表現されます。

植物のメタファでいっぱいです。

土壌があり、風があり、水があります。
種があり、芽があり、茎があり、
葉があり、花があり、実がなります。
種の中の種子もあります。

もとの声ことばに戻してみる

オリバー・サックスは、こう言いました。

本当の自分とは、内なる言語の中にある。

「私たちの、本当のことば、本当の自己は、内なる言語の中にある。ひとりひとりの心をつくる意味が、とめどなく紡ぎだされてくる、内なる言葉の中に。

私たちが、自己存在を確かめるのも、じぶんの世界をつくりあげられるのも、この、内なることばによってである。」

ふだん、気づかずにいる、自分自身の「内語(Inner Speech)。私たちは、小さい時から、相手とむきあい、声のあることばで関わりながら、同時に「内なる」ことばの世界をつくりあげています。

ふるまいで変われるじぶん

ある学生さんと、こんな雑談をしました。

りっこう:好き嫌いある? 嫌いな食べ物とか。
学生:えーと、〇〇がきらいですねー。
り:ほう、〇〇が。
学:XXだから。苦手です。
り:なるほど。でも、知らないうちに変わるかも。
学:うーん、どうですかね。
り:これまで、XXっていう重みづけがされてきたんだ。
学:重みづけですか?
り:そう。重みをつける。脳でね。無意識的に。
学:そうなんですか。
り:無意識のじぶんが「好き嫌い」に映っている。
学:自分がしていることなんですよね?
り:重みづけが変わればね、別に嫌いでもなかったんだとか、好き・嫌いの話でなかった、とか思うかもしれないよ。

Be accountable.

その昔、ソニーに入社した翌日、専務の田宮謙次さんから贈られたメッセージのことばです。

Be a doer.
(行動する人であれ。勇気をもて)
Be accountable
(自らのふるまいを省みよ。高潔であれ)

doer は、ドゥアーと読みます何事も「する人」でありなさい。accountableは、自分の行動について、いつでも語れるような、という意味です。最近は、日本語でも新聞などで、アカウンタビリティということばが使われるようになりました。「説明責任」と訳されています。

ふるまいのメソッド

矢田部英正さんは、『からだのメソッド』で、こう語ります。

古来、日本人の態度として、人間の力によらないものについてはあえて意味づけをしない風習のようなものがあった。ある意味それは自然に対する畏敬の念からでもあったろうし、人知をこえたところで働いている秩序に対して、人間の理解可能な理屈のなかだけで向き合おうとするの不遜な態度であると、昔の人はそう考えたからかもしれない。

ふるまいが、ことば。

身ぶり、手ぶりと言いますね。だれかと話をする時、自分では気がつかないけれど、いろいろな身ぶり、手ぶりがついています。もちろん、姿勢も表情も、声の調子や間合いも。その全体がことばになっています。

私たちの身ぶり、手ぶりはジェスチャーとも呼ばれますが、ジェスチャーは、音声言語と同期し、コミュニケーションの重要な通路になっていることが知られています。

マイケル・コーバリスさんは、「言語は呼び声からではなく、手、腕、顔のジェスチャーから進化した」という説を唱えます。野生の動物の観察や人間の言語の研究、特に、霊長類の行動・コミュニケーションの進化の経緯などを研究し、このように言います。

思う以前に感じる

泣くから、悲しい。震えるから、怖い。
ウィリアム・ジェームズは、感情と動きの関係について、このように説きました。常識を覆す発言としても知られます。「悲しいから泣き、怒るからなぐり、恐ろしいから震えるのではない。その反対である」と。

身体心理学・春木豊さんは、こう語ります。
「動きと心の因果関係は、常識的には、「はじめに思い、次にそれを行動に移す」と考えられている。この考え方は非常に強固である。一方、思う前に動いているという事実は、日常体験からも常識であろう。

小さな、ひと時の鏡から。

松下幸之助『道をひらく』に収められた「心の鏡」の一節から。

「身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが、けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随所にある。自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につながっているのである。」

身に結びつける学び

学校は「教育」の場です。先生が、生徒に教えるところ、学生を育てるところ。何を教えてもらうかといえば、物事についての知識です。やり方や名前、道具の使い方などです。

現代社会は、便利に、色々な知識を入手することができます。Google 検索でも、Wikipediaでも、膨大な情報やデータにアクセスして、知識を手に入れることができます。

それでは、それらの知識を使って、どのように行動できるでしょうか。そのための知識もあります。ただ、どこまでいっても、それはひとつひとつの知識です。

ギルバート・ライルは、そのことを、「knowing howと knowing that」ということばで表しました。knowing that とは、知っていること。獲得、入手できる知識のこと。knowing howは、知識を自分で使えること、人のためにも活かし、行動できることです。

無意識の力を活かす

ティモシー・ウィルソンさんは、こう言っています。
人間には、無意識のうちにきちんと働く、潜在的な能力が備わっている。

私たちは、ことばを意識レベルで理解しているのではありません。相手が発する一連の音の流れを解析したり、奥行きのある世界の対象物をいちいち分析して、理解しているのでもありません。

意識的にアクセスできない心的な過程を「適応的無意識」(The Adaptive unconscious)と呼びます。人間の能力には、意識して発揮しようとするとうまくいかず、むしろ流れに任せて身体を動かした方がうまくいくものがあります。潜在的だけれども、意識して発揮するのがむずかしい力。それは、知らないうちに働いていて、自分の行動にも影響している力です。