電気のつぶが、身にしみる

杉晴夫さんは、こう言います。
「現代のわれわれの生活は電気によって支えられている。周囲には電気製品があふれ、空間には電波が飛び交っている。

「人類がこの電気を中心とした文明生活を打ち立てるきっかけは、イタリアのガルバ二が2種の金属線をつなぎ、カエルの身体に接触させると激しく収縮することを偶然に発見したことであった。同じく、イタリアのボルタは、この発見からヒントをえて、電池を発明し、電池から得られる安定した電流を使用した研究により、人類は自然界における電磁現象の存在に気づき、現象の背後にある法則を利用して現代の文明社会を築いていった。」

失うことはまなぶこと

昨日の朝、右の腿に突然の痛みが訪れた。眠っている間にやってきたのだろう。眠っている間も、寝返りが打てなかった。だが、心当たりがない。力をいれると激痛が走る。階段の昇り降りなど、一日かばって歩いているうちに、そのせいか、腿の真ん中にもピリピリと別の痛みがやってきた。神経痛だろうか。

長い時間続けて、物を書いているせいであろうか。そういえば、寺田寅彦の随筆にも、ほとんど瓜二つと思えるような一編があったことを思い出した。

いたむから、わかる。

「痛み」は、何よりも、学びになります。

怪我や病気になれば、健康のありがたさが、よくわかります。

痛という漢字を見ただけで、「痛い」話は、ちょっといやだな、と思うかもしれません。

そんなとき、このことばを思い出してください。

Pain is companion for life
痛みは生涯の友。

ものに語りかける

柳田邦男さんは、こう言います。
「おでこを物にぶつけた時、怪我をして痛みを生じさせている部分のみに目を向けるのは、近代科学の視点。さらに怪我の程度を調べて、治療法を決めるのは、近代科学の方法である。その視点と方法に従う時、柱や棚や石という物の側は関心の対象外になる。可哀想と思ってもらえるのは、おでこの怪我をしたところだけなのだ。

共に痛む

エンパノートをひらくと、母のseed(声ことば)にこうあった。

「大和さんは、ギックリ肩みたいなもので激痛が走り、夜も眠れないのだそうです。」

身につまされるとは、このことである。

I feel your pain. 痛いよね。

私にも二回、おなじ受難体験があります。
滑液包炎。人間の体の関節には潤滑油の袋があります。
それが炎症を起こします。問題は、違和感がある時に、無理に動かしてしまうことです。無理をして、本格的に炎症を引き起こすこと。
腫れて、神経にふれるから激痛が走る。ギックリ腰より、苦しい。痛みにふれないように寝ようとしても、腕の位置はずれるから、それこそ、1ミリでも動こうものなら、激痛!まったく寝られません。

共感 = まなび

タ・パテマータ、マテマータ。

古代ギリシャ語の格言にあることば。

人は痛みによって学ぶ。
心の痛みが学びである。

パテマータは、身に受ける痛み、その体験。
パトス、パッションといったことばと同じ語源で、受け身の感情です。

マテマータは、学ぶこと、日本語で「数学」と翻訳されたマテマティクス (mathematics)の語源と同じで、人間のもつ想像、抽象、推論の働きです。

痛むから、じぶんを学ぶ。

People will remember how you made them feel.

「私は学びました。人は、他人のことばや行動は忘れてしまいます。でも、人のことばやふるまいで、どんな気持ちにさせられたか。それは忘れません。」

I’ve learned that people will forget what you said, what you did, but will never forget how you made them feel.

マヤ・アンジェロウさんのことばです。

日頃、私たちは、このことを、いろんなところで経験していると思います。
その態度が気に入らない。そんな言い方ないよね。他人行儀、舌先三寸、上から目線、不遜な態度。よそよそしい、えらそう、ごますり、などなど。
人に対して、心のないふるまいをじぶんがしてしまう時。無神経な態度を、人に取られる時。どちらもあるでしょう。