内語をふるまう

「考えをうまくことばで表現できない」などと言いますね。このように言うと、発話に先立って思考があるように聞こえます。
信原幸弘さんはこう言います。
考えるとは、発話すること。
内語を行うことが思考。

内語とは、声なき声で語られた発話、いわば音量ゼロ出力の、内なる発話 (Inner Speech) です。

写す出力が学び

白川静さんは、こう語ります。
「手で書くこと。手先から脳へ打ち込む。もちろん、目で見ることは必要です。写すこと、書くことがそれ以上に必要であり、重要です。

私は若い時に日記を書いておったのですが、書くことがない時や、余白が出た時にはそこへ、詩や漢文を写して、余白を埋めていたんです。面白いことに、漢文を写しているうちに、漢文が読めるようになったんですよ。流し読みしただけでは頭に入らない漢文が、書き写すことで、文法や語法的な関係とか理解できるようになっていきました。

内語に親しむ

いつも使っているのに、気がついていないことばがあります。それは、「内語(うちご)」です。英語で Inner Speechと呼ばれます。声にして話すのではない、心の中で使っていることば。心当たりがあるでしょうか。

ノーバート・ウィリーさんは、こう言います。
「内語は、れっきとした言語だが、通常の言語とは異なっている。自分の身体的ふるまいと結びついた、対話的性質のある言語。実は、内語は1歳頃から始まっている。気がついていないだけで、自己の行動、大きな判断も内語によって導かれている。」

ふるまいで変われるじぶん

ある学生さんと、こんな雑談をしました。

りっこう:好き嫌いある? 嫌いな食べ物とか。
学生:えーと、〇〇がきらいですねー。
り:ほう、〇〇が。
学:XXだから。苦手です。
り:なるほど。でも、知らないうちに変わるかも。
学:うーん、どうですかね。
り:これまで、XXっていう重みづけがされてきたんだ。
学:重みづけですか?
り:そう。重みをつける。脳でね。無意識的に。
学:そうなんですか。
り:無意識のじぶんが「好き嫌い」に映っている。
学:自分がしていることなんですよね?
り:重みづけが変わればね、別に嫌いでもなかったんだとか、好き・嫌いの話でなかった、とか思うかもしれないよ。

出力こそ、まなび。

読書百遍ひゃっぺんおのずから通ず。
(百回、つまり何度も繰り返し読めば、内容が自然にわかるようになる)

このことばをどのように受けてとめていますか?
→「そうなんだろう、きっと。頑張ってたくさんやれってことね。」(たいへんそうだなあ。めんどうくさそうだし、よくわからないから、やらない。)
→「そうなのかなぁ。わからない文章を100回読んでも、意味なんてわからないんじゃないか。」(では、やってみる?でも、疑っているので、やらない。)

希いとドリル

「ドリル」と聞くと、何を思い浮かべますか?

電動ドリル?計算ドリル?マーチングバンドのドリル?防災・避難訓練のこともドリルと言います。
アメリカでは、トルネード(竜巻)ドリルもあります。

これらは、みな、おなじ「ドリル」です。電動ドリルは、小さな穴をあける工具ですね。
避難訓練は、火事や地震に備えて、避難する予行演習です。

共通点があります。それは、「一点集中」です。ドリルが一点に穴をあけるように、ひとつのテーマに絞り、繰り返し練習すること。
ドリルとは、一点集中の反復練習のことを言います。こんな諺があります。

雨だれ石を穿つうがつ