じぶんを動かす|Self-Agency ⑦ 自走(明日につなぐ)
プラクティスは、やったら終わりではありません。終わりまでていねいにし、練習と練習の「あいだ」も大切にする。ことばを思い出し、後でもう一度声にすることで、覚えたことを必要な時に取り出しやすくします。内なる声も使いながら、今日の体験を明日へつなぐ。その小さなくり返しを毎日のしくみにすると自走する力が少しずつ育っていきます。
Keep it with you. (そのまま、持っていく)
プラクティスは、やったら終わりではありません。終わりまでていねいにし、練習と練習の「あいだ」も大切にする。ことばを思い出し、後でもう一度声にすることで、覚えたことを必要な時に取り出しやすくします。内なる声も使いながら、今日の体験を明日へつなぐ。その小さなくり返しを毎日のしくみにすると自走する力が少しずつ育っていきます。
Keep it with you. (そのまま、持っていく)
「わかった」と思っても、たいていはまだぼんやりしています。「わかった気」で体験を流さず、じぶんの軌跡をたどって反芻する。気づいてから書くのではなく、一行書くことで気づきやすくする。さらに、気づきやフィードバックを次の行為に返し、またふりかえる。この循環を重ねることで、じぶんのふるまいが見え、自覚が育ちます。
Write one line. (1行しっかり書く)
答えをすぐ外に求めると、じぶんで問い、気づく機会まで手放してしまいます。外で起きたことを、どう見て、聞いて、受け取るかは、じぶんの内側で起きています。まず、じぶんにたずねる。「何が邪魔している?」と問いの向きを変え、最も大切なことに注意を向けます。問いをひとつに絞り、次の行為につなげることが、自問のプラクティスです。
Ask yourself. (じぶんにたずねる)
気づかなくても、私たちには先を急ぐクセがあります。早く終えようとすると体験が定着する前に次へ進んでしまいます。自省とは、今やったことに戻り、ていねいにふりかえること。じぶんの声を聞き直し、その場でお手本と比べると、「なんとなく違う」が「ここが違う」に変わります。そのくりかえしで、じぶんでは見えなかった違いに気づけます。
Listen to your voice. (じぶんの声を聞く)
自信がない。でも、そもそも何回やったでしょう。まだ失敗すらしていないのに、失敗を先回りして避ければ、できるようになる機会まで失います。自信は、やる前にあるものではありません。まず一回やってみる。思うようにいかなくても、予想が経験に変わります。演じて、くり返す。その一回一回が、じぶんでできる自信の原因になります。
You haven’t even tried it once. (まだ、一度もやってみていない)
母語の音やリズム、これまでの学び方は、自己流として身体にしみこんでいます。問題はそれに気づかないまま「練習した」と思ってしまうこと。自助とは、お手本の力を借り、じぶんでは見えない自己流に気づき、修正することです。まねることは低次の練習ではない。お手本を再現しようとして初めて、違いが見え、自己流を少しずつ変えていけます。
Listen closely. Follow the model. (よく耳を傾け、お手本をまねる)
毎日のプラクティスを意志に任せると、いつもの行動に流され、始める前から惰性の中にいます。私たちは歯みがきのように、考えなくても自発できるしくみをすでに身につけています。おなじ時間、場所、姿勢を決め、静かにすわり、場を整える。余計な負担を減らし、始めやすいしくみをじぶんの内側につくることが、自発の第一歩です。
Sit quietly. (静かにすわる)
習慣の要素やモデルを知識で納得しても行動にはなりません。いえ、本を読んで満足すると、かえって行動に踏み切れません。習慣化には、具体的な身体作法が必須です。エンパシームは、具体的な身体行為の単位と作法を定め、そのガイドを組み込んだ、プラクティスのメソッドです。プラクティスを妨げる要因を見極め、じぶんの姿をふりかえります。
Make it simple.
日本の近代黎明期、井上円了は生涯をかけて、宇宙と心の「不思議」を探求し、その哲学を日本の隅々まで伝道しました。師と共に学ぶ。友と共に学ぶ。「共にある」という思いが、大きな支えになります。エンパシームは、先生のことばとじぶんをつなぐ路になります。修養トレイルは、その路の案内・伴走役となり、日々のプラクティスを助けます。
I’m with you.
共に学べることほど、力になってくれるものはありません。共に歩むという、目に見えないチカラで、少し遠いところへ、高い所にたどりつけます。気がついてみたら、こんなところまで来られた!歩んだのはあなたのチカラ。だれもあなたの代わりに歩くことはできません。でも、一緒に歩く人がいるからこそ。遠くから、思ってくれる人がいるからです。