Empathemian『円了先生』
哲学は、宇宙の真理探究である。

師と共に学ぶ。友と共に学ぶ。「共にある」という思いが、目に見えない大きな支えになります。その力によって、知識の習得だけではなく、知恵を身につけることができる。それは、楽しいときも、困難なときも、生きてゆく心を支えること。

日本の近代黎明期、井上円了は生涯をかけて、宇宙と心の「不思議」を探求し、その哲学を日本の隅々まで伝道しました。全国津々浦々、その数、5000回以上、人々に直接語りました。

哲学は、本を読むだけのものではなく、実践し活動するもの。生きる対象であるー。

井上円了先生は、もうこの世にいない?いえ、この世に、先生の思いが生きています。先生のことばが生きています。

師はこの世に、物理的には、存在していなくてもことばで生きています。そのことばから息吹をもらい、「不思議」を学ぶじぶんが、ここにいます。心がつながっています。

エンパシームは、先生のことばとじぶんをつなぐ路になります。「毎プラ」は、その路の案内役となり、日々のプラクティスの道具となるものです。

持ち運びできる手のひらサイズのパレット。いつも共にあるように。いろいろな思いや、ひらめきや、縁を結いあわせられるように。

苦にするな、あらしの後に日和あり。
雨後晴れあり、寒後暖あり、苦後楽あり。
禍後福あり、死後生あり。

「共にいるよ。」先生の声が、身近に感じられます。

出典:『井上円了選集・奮闘哲学』