Person holding a smartphone outdoors, screen shows a photo of two people smiling together.
Empathemian『Self-Agency-Follow』

Your own way gets in the way.(自己流グセが、自助の妨げ)

「まず、やってみて。」

何か新しいことをはじめる時、じぶんでは新しいことをしているつもりでも、身体はゼロから始めるわけではありません。

すでに身についているやり方があります。

英語のセリフを声にする時も同じです。文字を見ると、知っている読み方で読む。

聞いた音より、じぶんが知っている音に置き換える。英語のリズムより、日本語で身についたリズムが先に出る。

考えてみれば、当然のことです。

私たちは、生まれる前から人の声を聞き、生まれてからは、聞く、声を出す、また聞く、ということを、気の遠くなるほどくり返してきました。

そうして、日本語の音とリズムを、頭で覚えるより先に、身体に身につけています。

一方、新しく出会う英語のセリフは、まだ一度も声にしたことがありません。

身体に刻まれた日本語の音とリズムと、初めて出会う英語の音とリズム。何もしなければ、すでに身についているほうが先に出ます。

もうひとつ、「いつものやり方」があります。

これまで英語を学んできたやり方です。

文字を見る。意味を調べる。単語を覚える。じぶんの知っている音で読む。

英語を学ぼうとすると、これまで身につけた「英語の学び方」も、いつものように出てきます。

つまり、自己流とは、わざと好き勝手にすることだけではありません。

母語として身体に身についたやり方と、これまでくり返してきた学び方。その両方が、じぶんでは気づかないまま先に出てくることです。

Your usual way comes out first. (身についているやり方が先に出てしまう)

問題は、いつものやり方が出ることだけではありません。

それを、自己流だと気づかないことです。

⚪︎お手本を聞いても、いつものように言う。
⚪︎「まねてみよう」と言われても、じぶんの音で言う。
⚪︎「似ていなくても」、それなりにできたと自己評価する。

それで、まねる練習をしたつもりになる。
うまくいかなければ、「じぶんは英語が苦手だから」「発音が下手だから」と思う。

でも、問題はそこではありません。

お手本をまねるはずのプラクティスで、いつものやり方をくり返していることに気づいていないのです。

同じやり方をくり返せば、身につくのも、そのやり方です。

新しい音やリズムを身につけようとしているのに、すでに身についた音とリズムをくり返す。お手本があるのに、お手本にならわない。

ここに、自己流の見えにくさがあります。

Listen closely. Follow the model. (よく耳を傾け、お手本をまねる)

では、どうすれば自己流に気づけるのでしょう。

じぶんのやり方だけでやっていたら、じぶんのやり方には気づけません。

だから、お手本があります。

お手本をよく聞く。じぶんのやり方をいったん脇に置いて、聞こえてくる声をそのまま受け入れる。そして、できるだけ同じようにまねてみる。

それだけではありません。お手本とじぶんの声を、見比べる。聴き比べる。そして、もう一度やってみる。くり返すうちに、それまで気づかなかった違いが見えてきます。

⚫︎ここは、こんな音だったのか。
⚫︎こんなに長かったのか。
⚫︎じぶんは、いつもこう言っていたのか。

自助(じぶんを助ける)とは、何でもじぶんひとりですることではありません。

じぶんだけでは見えない自己流に気づくために、お手本の力を借りることです。

お手本をまねることは、受け身になることではありません。じぶんのやり方に気づき、それを少しずつ修正しながら、新しいやり方をじぶんの内側につくっていくことです。

これが、自助のはじまりです。(*注1)

Focus on the sound. Follow the rhythm. Replicate the phrase.(音に耳を向け、リズムにそって、セリフを再現する)

「ああ、まねればいいのね。」

私たちは「まねる」と聞くと、どこか一段低いことのように感じていないでしょうか?

⚪︎自分で考えるほうが上。
⚪︎自分らしくやるほうが上。
⚪︎まねるのは、初心者がすること。

そんな序列を、知らないうちにつくっています。

英語も、文字を見てそれなりに音読できるようになると、「じぶんで言える」と思うようになります。

ところが、その声をお手本と比べてみると、音やリズムに大きな違いがあります。じぶんでは英語として言えているつもりでも、実際の英語では、そんな音やリズムでは言わない。相手には聞き取りにくかったり、通じなかったりします。

それでも、文字を読んで最後まで言えれば、「できた」と自己評価できてしまいます。ここに、まねることを過小評価する落とし穴があります。

まねるとは、適当に似せることではありません。お手本をよく受け取り、その音とリズムを、じぶんの身体と声で『再現する』ことです。

再現しようとするから、じぶんが「できている」と思っていたものとの違いが現れます。

⚫︎音に耳を傾ける。
⚫︎テンポとリズムをまねる。
⚫︎音と抑揚をまねる。
⚫︎聴き比べる。見比べる。
⚫︎もう一度、やってみる。

まねることは、じぶんでできない人がする低次の練習ではありません。

じぶんではできていると思っていることを、お手本によって確かめ、自己流を修正するプラクティスなのです。

まとめ

❶ 自己流の干渉に気づく

❷ お手本の力を借りる

❸ くり返し、再現する

作(文・挿絵・声に出すことば・声):坂口立考
出典・参照:以下のエンパレットノートなど

(*注1) まず、原因となる手本を受け取り、それをじぶんで再現できるようにする。「結果をまねる」のではなく、結果を生む原因を、手本から受け取ります。私たちは、母語もそのようにして身につけます。生まれる前から周囲の声を聞き、幼いころから、聞く、声を出す、また聞くという音の出し入れをくり返します。

幼児期だけでも、耳にすることばは数千万語という規模です。音や音節、そのつながりまで含めれば、私たちは母語について数億回という規模の音の出し入れを経験しています。文字を習うよりずっと前から、その音とリズムを身体に身につけているのです。

一方、新しく出会う英語のセリフは、ゼロです。数億対ゼロ。それだけの差があれば、日本語の音やリズムが先に出るのは当然です。

だから、「まねる」は半端なことではありません。一度聞いて、それらしく言ってみることではないのです。何度も聞き、声に出し、お手本と比べ、違いに気づき、また声にする。意識して直そうとしても、身についた日本語の音やリズムは何度も出てきます。その差分を、くり返し埋めていくのがプラクティスです。

お手本を受け入れ、じぶんの声で再現し、くり返す。これは、私たちが母語ですでに経験している「自助」の原型とも言えます。

じぶんを動かすしくみ|Self-Agency 7つの実践

⚫︎じぶんを動かすしくみ|Self-Agency ① 自発(はじめる)
⚫︎じぶんを動かすしくみ|Self-Agency ② 自助(じぶんを助ける)
⚫︎じぶんを動かすしくみ|Self-Agency ③ 自信(やってみる)
⚫︎じぶんを動かすしくみ|Self-Agency ④ 自省(ふりかえる)
⚫︎じぶんを動かすしくみ|Self-Agency ⑤ 自問(問いを持つ)
⚫︎じぶんを動かすしくみ|Self-Agency ⑥ 自覚(じぶんに気づく)
⚫︎じぶんを動かすしくみ|Self-Agency ⑦ 自走(明日につなぐ)