
私が生きている。
そして、みんなも生きている。
気がつけば、動物も、植物も、みんな共に生きている。
ふだん私たちは、そんなふうに、そういう順序で、考えますね。
金子みすゞ『蓮と鶏』より。
泥のなかから 蓮が咲く。
それをするのは 蓮じゃない。
卵の中から 鶏が出る。
それをするのは、鶏じゃない。
それに私は 気がついた。
それも私の せいじゃない。
蓮の花も、卵も、とても不思議です。おなじように、じぶんという存在もまた、不思議です。私という人間が、世界のあるところに生きていて、世界を眺めたり、物事を考えているようで、実は、自然に委ねられている。自分がひとりで「気がつく」ということは、ないはずです。
ひとりの人間として、息をして、歩いて、暮らしているつもりだけれど、それは、ひとりでではなく、世界とわけへだてなくつながって、感じられている。
「私が生きている」のではない。
「じぶん」を生きている。
「じぶん」はすでに、宇宙に委ねられている。じぶんという土の上を、みちびかれて歩いているー。じぶんが相手になって、声のことばにして、想像してみるだけで、体の力がぬけて、気が休まります。
あ、それも、私のせいじゃないんですが。
You live your “Self.”
出典・参照:『金子みすず全集・蓮と鶏』
「じぶんを生きている」(動画)(2007年エンパシームコミュニティ創設)