
Memento Mori.(メメント・モリ—死があるから生がある)
カウンセラーの杉原保史さんは、共感について、こう説きます。
「共感は、人と人とが関わり合い、互いに影響し合うプロセスです。リラックスして、感じていることに注意を向けることが共感のはじまりになります。」
「共感は、だれかのために時間を使うことです。また、それは、相手との共同作業によって深めていくプロセスでもあります。人から共感される経験によって、人に共感する心が身につくのです。」
「共感は、相手の気持ちを感じることです。じぶん自身への共感は自信になります。」
「共感が深まる時。相手の気持ちと自分の気持ちとの境界線がぼやけていきます。相手は人間だけではありません。動物、植物、自然の風景。自然の不思議。自然への共感とは、実は、「自然から共感される体験」なのです。」
死を想え、そして共感を生きよう。
「死や病や障害や孤独などの受容は共感能力を高めます。すべてのものがいつかは失われるという認識が、優しさや慈しみの感情をもたらすのです。共感を深めるのは、限界を受け入れ個人の境界をしっかりと認識することでもあります。」
共感を生きる。
「知的に理解するだけでは、死の恐怖が和らぐことはありません。実際に共感を生き、実感することです。その世界を身をもって体験することです。」
Live empathy.(共感を生きる)
共感を「相手を理解すること」と考えると、相手はいつのまにか、理解する「対象」になります。
私たちの社会は、こどもやお年寄りを対象にして、「何をしてあげられるか」と考えます。
でも、共感は、その前にあります。
⚫︎ その人の声を聞く。
⚫︎ その人とおなじものを見る。
⚫︎ おなじことを、いっしょにする。
⚪︎ こどもと絵本を読む。
⚪︎ お年寄りと童話を味わう。
⚪︎ こどもとお年寄りが、いっしょに声を出す。
そこでは、する人と、してもらう人に分かれません。おなじ場で、おなじふるまいをすることから、共感が生まれます。
こどもにも親がいます。そして、その親にも親がいます。
年齢も、立場も違っていても、ひとりの人が、ふだんのじぶんを生きていることは同じです。その人の声を聞き、その人とおなじ地平に立つ。
共通言語より前に、共通のふるまいがあります。共にするプラクティスがあります。
共感は、知識として身につけるものではありません。共にすることで、共に生きることです。
作(文・挿絵・声にだすことば・声):坂口立考
出典・参照:杉原 保史『プロカウンセラーの共感の技術』、以下のエンパレットノートなど
