階段があるから登れる(いのちの根源を忘れています)
A stairway affords climbing.(階段のおかげで登れるんだよ)
何の変哲もない日常の光景。このことばを思い出すと目の前の世界の見え方が一変します。あなたの力を引き出してくれる力、アフォーダンス。それは環境の中にあります。ひとりで登っているつもりでも助けられています。おなじように、ことばがあるから考えられる。相手があるからことばが生まれる。みな共にあるから、私たちは生きられるのです。
A stairway affords climbing.(階段のおかげで登れるんだよ)
何の変哲もない日常の光景。このことばを思い出すと目の前の世界の見え方が一変します。あなたの力を引き出してくれる力、アフォーダンス。それは環境の中にあります。ひとりで登っているつもりでも助けられています。おなじように、ことばがあるから考えられる。相手があるからことばが生まれる。みな共にあるから、私たちは生きられるのです。
世界がそこにあって、それをじぶんは見ている。ありのままに受け取って。そんなふうに思っていますよね。でも、実はそうでありません。じぶんの受け取り方、感じ方で見えるものが違いますそれ以前に、関わろうとしてなければ、見えません。じぶんの身体で感じことによってしか、見えないのです。じぶん自身が生きていること自体が世界の鏡です。
You do not see the world as it is. You see it as you are.(世界は、ありのままには見えない。じぶんとして映るのだ
すみません。I’m sorry.は、あやまる時のことば。そんなふうに覚えましたよね。でも、sorryは「ごめん」という意味のことばではなく、相手の気持ちを察した時の心の状態です。sorryの語源は「痛みを感じる」です。あやまる時でなくても、相手に心を察して痛みを感じる時。色々な使い方がありますが、原点はすべて同じです。
I’m sorry.(察するよ)
meanという動詞は、辞書に「意味する」とありますが、どうも日本語にしっくりと来ません。まず、例をあげてみましょう。結論を先取りしましょう。meanという動詞の原義は、こうです。say(心の外に言う)mean(心の中で言う)このように原義を捉えると、meanという動詞のもつ性質が明らかになります。これが英語の心です。
What do you mean?(ハッキリ言って)
雨あがりの土曜日。水たまりのできた、ぬかる山路。後ろ方から、はしゃぐ声と足音が近づいて来ます。何が起きるか、想像が浮かんだ瞬間、こんな声が聞こえてきました。Hey, you’re good.(水たまりに入らないでね)わざわざやらないでよい、という意味です。日常の会話は、すべて想像の世界です。相手を察する行為そのもの。
I’m good.(だいじょうぶ)
共感とは、じぶんと他者がつながっていること、そのもの。もともと、私たちはみな「空気」でつながっています。でも、つながっているものを、ふだんは「わけへだて」しながら生きています。だから「じぶんと相手を結びつける」というのは結び直すこと。もともとつながっていたことを、忘れているのです。共感とは、その事実に気づくことです。
We are already connected!
親切。切るという字をつかうのは?刃物に触れるぐらい、身近か、という意味から。親切にするとは、相手に近づいて、 手を差し伸べたり、寄りそうことです。互いに近くに感じられる時が、親切な心。一方的に「近い」ということはありません。何かをしてくれても、共に歩むだけで。何をしてあげられなくても、そばにいるだけで、親切になれます。
No act of kindness is ever wasted. (親切は、決して無駄にならない)
「袖振りあうも他生のご縁」ということばがあります。偶然、袖が触れるぐらいの、わずかな出会いにこそ、つながりを発見できるのかもしれません。目を向け、耳を傾け、手で触れてみる。どんなことでもよいから。ひとつひとつの出来事は、たまたま。偶然の現象です。何であれ、よろこんで受け入れるという姿勢になると可能性は無数に広がります。
The chances are numerous. (奇遇はいくらでもある)
赤裸々とは、包み隠さないことです。でも、なかなか、赤裸々にはなれません。なれないから、じぶんに対して、飾り、構え、あれこれ理屈を考えます。じぶんに対しても、どこかで「はずかしい」。そこで、セキラリティ(勇気をもって真実をに語ろうする姿勢)と言ってみると気が楽になります。心の中で、ネガティブをポジティブに転じる造語です。
Be true.(真実のじぶんのとおりに)
「姉は月の光のようでした。」兄弟の意識が連続しているという安堵感が喪失感に入り交じった。「人はみな、借りを返しながら生きるのです。」以来、姉は私の三日月になった。毎日を大切に生きることを誓った。ありがとう、ということばで心が震えるようにすること。声の響きのあることばで語り、自分でそのことばを聴き、書いて確かめること。
I’m with you.(いつも、いるよ)