Empathemian『What if you were back in 1926』

Imagine the unknown.(未知を想像する)

⚫︎ 100年前に行くと?

タイムマシンで、あなたが過去へ行くとします。 公園のベンチで隣になった人に、伝わるように話してみてください。

ふだん、じぶんがスマホでAIと何をしているか。ただし、電波はなく、もちろん、AIも動きません。

「それ、何だい?」
「AIと会話してます。スマホで。」
「AIと会話?スマホ?」
「聞くと、何でも教えてくれるんですよ」
「ほう。何でも教えてくれる機械?」
「便利ですよ。」
「このあいだ、急に具合が悪くなったんだが、あれは何だったかね?」
「あの、それはわからないですが、答えてはくれますよ。」

時は100年前。1926年、無線通信は知られていました。ラジオ放送が開始された頃です。

Empathemian『What if you were back in 1976』

⚫︎ 50年前に行くと?

「お、それは?」
「AIチャットです。スマホで。」
「コンピュータの未来だな。」
「あーそうですね。」
「で、何を話すんだい?」
「知りたいことをきくんです。」
「この前、急に具合が悪くなったんだが、あれは何?」
「えーと、それはわからないですが、答えてはくれますよ。」

50年前、1976年。パーソナルコンピュータが幕開けした頃です。

Empathemian『What if you were back in 2001』

⚫︎ 25年前に行くと?

「あの、それは?」
「AIチャットですよ。スマホで。」
「ケータイとPCが進化して、そうなるのか。」
「ええ。ネット検索の進化版ですよ。」
「AIは、何をしてくれるんですか。」
「何でも答えてくれますよ、聞けば。」
「このあいだ、急に具合が悪くなったんですよ。何が起きたのかな?」
「うーん、それはわからないですが、答えてはくれますよ。」

25年前、2001年。ケータイメールが普及し始めた頃です。(*注1)

The answer comes. The sense does not. (答えは外からも来る。感覚はじぶんの内側だけ)

Empathemian『Imagine you’re back in 2026』

⚫︎ 現代に戻ると?

タイムマシンは、2026年に戻ってきました。公園のベンチで、今度は父親の隣に座ります。

「何してるんだ?」
「AIと話してる。」
「またAIか。何を聞いてるんだい?」
「まあ、いろいろ。聞けば何でも答えてくれるから。」
「それじゃ、聞くけど、この前、わしが急に具合悪くなったのは何だったんだ?」
「それ自体はわからないよ。父さんのことは知らないから。でもなんか言ってくれるよ。」
「知らないのに、何を答えるのかね?」
「高齢者の体調不良とか。聞いていくとわかるよ。」
「わしというより、老人の健康ってやつか。」

Think outside the box. (枠の外に出て考える)

⚫︎ 知識ではない?

ちょっと不思議ですよね。
時代が違うのに、四つの会話はほとんど同じです。

100年前ほど、説明するのはむずかしい。じぶんは毎日使い、よく知っているつもりでも、相手とコンテクストを共有していないと、それだけでは伝わりません。

逆に現代では、共有している前提が多いので、説明しなくても伝えたつもりになれます。

ところが、「私のことは?」と聞かれると、どの時代でも同じです。

何でも答えてくれる。でも、私のことは知らない。
知らないけれど、いくらでも答えられる。

一般的なことを、十把一絡げに。
十人十色にするには、こちらから出さなければならない。

⚫︎ 伝わるのは、知識ではなく、あなたのストーリー

いまは、AIをだれもが使える時代です。
100年で、じぶんの外側の知識は途方もなく増えました。

では、じぶんの内側の知識は?
じぶんのことなら、じぶんがいちばん知っている?

なぜ、あんなに楽しかったのか。
なぜ、うれしい気持ちになったのか。
なぜ、あのことばは心に残ったのか。
なぜ、昨日はできなかったことが、今日はできたのか。

じぶんのことも、はじめから知っているわけではありません。もちろん、AIに「じぶんの内側」をたずねても、それには答えられません。

答えられるのは、十把一絡げの一般です。
十人十色のひとりのじぶんではありません。

また、一人十色の、いろいろなじぶんの姿でもありません。

だから、まず、やってみる。
ふりかえる。問いをことばにする。
ふと思いつく問いをくりかえすこと。

そうするうちに、「あ、そうなのかも」とヒントが現れる。
それをつきつめると、じぶんのことが少しわかってくる。

では、それだけで、じぶんは次へ動けるでしょうか。
何が、じぶんを動かすのでしょう。

Empathemian『外側とじぶんをつなぐ』

ここで、ひとつ、私の体験談をします。

50年前、私は「パーソナルコンピュータ」ということばに惹かれ、それが、アメリカで就学したいという決意になった。25年前には、コンピュータの未来をつくる仕事に就いていました。上の挿絵の時代です。

こんなやりとりがありました。実話です。(*注2)

「スマートフォン?ケータイに無線を足すのか?」
「いいえ。とんこつラーメンの出しを、あとから入れるようにはいかないんです」

「そんなでっかい板を持って、電話するの?」
「もう、電話じゃないんです。」

「要件のやりとりは変わらないでしょ。」
「でも、コミュニケーションの形は変わります。」

Empathemian『Imagine you’re back in 2001』

What moves you from within? (何がじぶんの内側を動かすか)

おぼろげにも機械とチャットする未来図はありました。

でも、具体的な使い方はわかりません。
答えがあったから、そこへ進んだのではない。

やれたら、たのしい。
できたら、うれしい。
あそべたら、おもしろい。

そういうものに、じぶんが引っ張られていったのです

でも、これは私だけの思い出話ではありません。 問いたいのは、ここです。

「たのしい」「うれしい」「おもしろい」という気持ちは、どうしたら、じぶんの内側に生まれるのでしょう。

この「たのしい・うれしい・おもしろい」は、好奇心という、外側から表現してことばより、もっと内側に起きる感覚です。

たのしい: 知る、わかる、身体を動かす。夢中になって、じぶんでやれる。

うれしい: できなかったことができるようになる。じぶんのために時間をかけ、変化に気づいてくれる人がいる。

おもしろい: 意外なことや物語、未知の先に引き込まれる。そこから、じぶんでつくれる。

外から「楽しめ」「続けろ」と言われても、そうはなりません。

だから、プラクティスそのものに、まねしやすさ、くりかえしやすさ、気づきやすさだけでなく、たのしくなりやすさ、うれしくなりやすさ、おもしろくなりやすさがいる。

ことばのタネ、声のタネをまくのも、そのためです。
まず、やってみる。ふりかえる。問いをことばにする。

すぐに答えが出るわけではありません。ふと思いついた問いを、何度もくりかえす。
声に出す。書いてみる。また別の時に、同じ問いをたずねてみる。

そうするうちに、「あ、そうなのかも」と、小さなヒントが現れる。さらに問いを重ねていくと、じぶんのことが少しずつわかってくる。

内側に湧き上がる力:たのしい、うれしい、おもしろい

でも、外からくるものは、「つらい。つまらない。つづかない。」ことも多い。
そういう時に、どうするか?

はじめから、たのしい、うれしい、おもしろいものばかりではありません。だから、じぶんから、そちらへ向かってみることがいります。

⚫︎ 未来に行ってみる

もう一度、タイムマシンを使ってみましょう。
今度は2038年です。「こんなものがあったら」と、じぶんで想像してみてください。

公園のベンチで、未来の若者が、光る小さなものを見せてくれます。

Empathemian『Imagine you’re in 2038 』

「これ、何?」
「AIと話してるんですよ。」
「スマホは?」
「スマホ?」
「ぼくらのころは、平たい板の画面に向かってAIに話していたんだよ。」
「へえ。そうだったんですか。」

2038年から2026年を眺めてみる。

すると、いま当たり前にしていることも、少し違って見えてきます。面倒だと思っていたことも、あとから振り返れば、何かが変わろうとしていた時の貴重な体験かもしれない。

「この先、どうなる?」
「こんなものがあったら?」
「こうしたら、おもしろくなるかも。」

「未来を予測する」のではありません。

想像は自由—いまの見え方を変えるプラクティスをするのです。

Love what you do.(やっていることを好きになる)

はじめから好きなことばかりではありません。つまらない、面倒だと思うことでも、見方を変える。想像する。少しやってみる。そこに「たのしい」「うれしい」「おもしろい」を見つけていく。その向きへ、じぶんを仕向ける。

そういうプラクティスをくりかえしているうちに、「これはもっとやりたい」「これはじぶんが好きなことだ」というものが、だんだん見えてくる。

Do what you love. (好きになることをする)

Empathemian『Imagine you’re back again in 2026』

⚫︎ 未来から戻ったように

2038年から再び戻ってきました。

25年後から眺めると、いま何気なくしていることも、見え方が変わります。

いま「面倒だ」「つまらない」と思っていることも、あとから見れば、何かが生まれようとしていた時代の、貴重な体験かもしれません。

まだないものを想像する。こんなことができたら、と。
いま目の前にあるものを、別のところから眺めてみる。

すると、「つまらない」という同じ出来事の中にも、「ちょっとやってみようかな」という隙間ができます。

はじめから、たのしい、うれしい、おもしろいものが用意されているわけではありません。

その予感を、じぶんでつくることはできるのです。

ことばのタネ、声のタネをまく。問いを声にする。手で書く。すぐに答えを求めず、何度も問いかける。「あ、そうなのかも」という小さな気づきを待つ。

じぶんで気づけば、うれしい。そこから別の問いが出れば、おもしろい。もう一度やってみたくなれば、たのしい。

内側を動かす力まで、外から与えることはできません。
でも、その力が生まれやすいプラクティスを、じぶんでつくることはできます。

Grow from within. (内側から育つ)

(*注1) 時代背景:
1926年(大正15年/昭和元年)。日本では前年の1925年にラジオ放送が始まり、無線通信が社会に広がり始めた時代。
1976年。パーソナルコンピュータの幕開け。Apple I が登場し、コンピュータを個人が持つという発想が現実になり始めた時代。
2001年。日本ではケータイメールやモバイルインターネットが広く普及。PCと携帯電話は、まだ別々のものとして使われていた時代。
2026年。スマートフォンで生成AIと会話し、知識を得たり、文章をつくったりすることが日常になった時代。
2038年。本稿で想像した未来。AIが答えを返すだけでなく、一人ひとりのプラクティスによりそう「Empathetic Agent(EA)」へ進んでいるという仮想の場面。

(*注2) 筆者の体験談。
筆者は約50年前、「パーソナルコンピュータ」ということばに惹かれ、米国で学ぶことを志しました。その後、ソニーおよびソニー・エリクソンで、海外事業や携帯電話・スマートフォンの開発に携わりました。本文中の「とんこつラーメンの出し」「もう、電話じゃないんです」というやりとりは、当時の実体験をもとにしています。詳しくは「SomniQについて|Vision & Purpose」「発明は必要の母③|エンパシームアプリの母」をごらんください。

内側を育てる|Growth From Within シリーズ

⚫︎ 外から人は育たない|人は内側から育つ①
⚫︎ 教えたと身についたは同じではない|人は内側から育つ②
⚫︎ やって、うまくいかないから、はじめてわかる|人は内側から育つ③
⚫︎ できる人には、見えないものがある|人は内側から育つ④
⚫︎ ことばのタネをまき、育てる|人は内側から育つ⑤
⚫︎ 同じことをしていても、育ち方はちがう|人は内側から育つ⑥
⚫︎ たのしい、うれしい、おもしろい |人は内側から育つ⑦

作(文・挿絵・声に出すことば・声):坂口立考
出典・参照:以下のエンパレットノートなど