Empathemian『Any luck?』

Knowing is one thing. Doing is another. (わかることと、じぶんでやることは別)

⚫︎ 外から人は育たない

挿絵の場面を想像してみてください。

ひとりの男が、海に糸を垂らしています。
その後ろから、声をかけてみます。

あなた:何をしているんですか?
男:見ればわかるだろう。釣りだよ。
あなた:魚は釣れましたか?
男:見ればわかるだろう。釣れてない。
あなた:一匹も?
男:一匹も。

一匹も釣れていなくても、魚釣り。

この話を「教える」場面に置き換えてみます。

あなた:何をしているんですか?
男:見ればわかるだろう。教えているんだ。
あなた:その子は学びましたか?
男:教えたことは覚えただろう。
あなた:身についたでしょうか?
男:そんなこと、わからないよ。

⚫︎ 教えると身につけるの間

なんか少し、変ですよね。

魚釣りなら、魚が釣れなくても「釣りをした」と言えます。

同じように、研修をすれば「研修をした」と言えます。

セミナーを開けば「セミナーをした」と言える。
それが「啓発セミナー」であれば、人を啓発した、と言える。

教えれば「教えた」。
そのこと自体は、間違いではありません。

でも、教えたからと言って、相手が学んだとは限らない。
釣り人の返事「そんなこと、わからないよ」は、正直な返答です。

さらに、でも、「学んだ」ことと、「身についた」ことも同じではありません。

セミナーで大切なことを伝えた。参加した人も、なるほどと思った。その場では意欲も高まった。

けれども、次の日から、その人が

▷ じぶんで何かを始めたでしょうか。
▷ 一週間後も続けているでしょうか。
▷ じぶんでできるようになっているでしょうか。

教える側の行為は、その場で完了できます。

身につくことは、そこで完了しません。

では、その間に何があるのでしょう。

You can teach the form. You can’t make the adjustment for them. (型は教えられるが、調節はできない)

Empathemian『You can’t teach catching』

では、もうひとつの場面です。

先生:ここに餌をつける。
学ぶ人:はい。
先生:魚のいそうなところへ投げる。
学ぶ人:はい。
先生:浮きが沈んだら、竿を上げる。
学ぶ人:はい。
先生:ピクピクってくるからね。
学ぶ人:そうなんですか。
先生:その時にサッとすばやくね。

釣り方を教えることはできます。

持ち方を見せる。やり方を説明する。コツを伝える。手本を見せる。

けれど、魚がかかった時の「ピクピク」は、本人の手にやってきます。

その時、どのくらい待つのか。いつ竿を上げるのか。どのくらいの力で引くのか。

やってみれば、教わったとおりにはいきません。

先ほどの釣り人は、一匹も釣れていませんでした。それでも、釣りをしていました。

こちらは反対です。釣り方をひととおり教わりました。でも、まだ一度も釣りをしていません。

「教えた」は成立しています。

「身についた」は、まだ始まってもいません。

「教えた」と「身についた」の間にあるもの。それは?

Knowing how is one thing. Doing it is another. (やり方がわかることと、じぶんでやることは別)

私たちは、「教える」ことには、たくさんのことばをもっています。

教育、研修、人材育成、能力開発、コーチング。

「学ぶ」側にも、受講する、課題をやる、理解する、覚える、評価される、といった行動があります。

でも、「教えた」と「身についた」の間が抜けています。

プラクティスです。

教えるしくみはあっても、プラクティスのしくみがない。

Grow from within. (内側から育つ)

内側を育てる|Growth From Within シリーズ

⚫︎ 外から人は育たない|人は内側から育つ①
⚫︎ 教えたと身についたは同じではない|人は内側から育つ②
⚫︎ やって、うまくいかないから、はじめてわかる|人は内側から育つ③
⚫︎ できる人には、見えないものがある|人は内側から育つ④
⚫︎ ことばのタネをまき、育てる|人は内側から育つ⑤
⚫︎ 同じことをしていても、育ち方はちがう|人は内側から育つ⑥
⚫︎ たのしい、うれしい、おもしろい |人は内側から育つ⑦

作(文・挿絵・声に出すことば・声):坂口立考
出典・参照:以下のエンパレットノートなど