ことば『シード』論(声のタネをまいて育てる)

エマーソンのことば「思いのタネをまく」。思いのタネをまけば、それが行動になり、習慣になり、心の路になっていきます。でも何もしないと「いいことばだなぁ」のままになってしまいます。どうしたら本当に「思いのタネ」をまけるのでしょうか?それは、一体、何をすることなのでしょうか?。静穏の中に思いのことばを声に出すことです。

プラクティス『共感』論

じぶんひとりが頑張っているのではない。じぶんと共にあるものがある。それは、エンパシーです。「相手」を感じること、ふれあっていること。共感の相手は人間に限りません。光も水も風も、じぶんの相手になり、共にある時があります。私たちはつねに、いろいろな物事に支えられている。そのことを思い出す時、じぶんの存在に気づくのです。

プラクティス『しくみ』論

はじめて乗れた日のことを覚えていますか?はじめはうまくいきませんが、思い切ってやっているうちにその日がやってきます。じぶんもシステムの一部となり、自転車と一体化するからです。「車輪を縦にふたつ並べ、人間の力を大きな推進力と操縦性に変えるしくみ。その歴史にも触れつつ、プラクティスの理想モデルとしての自転車を考えてみます。

ことばの原理

言語の習得とは「処理を身につける」ことです。処理したものだけが、身につけられます。処理していないことを学ぶことはできません。プラクティスしないことは身につきません。プラクティスとは、身体全体が処理するプロセスです。そのプロセスを担う働きがワーキングメモリ。ワーキングメモリを鍛える方法は、2秒のセリフのアウトプットです。

迷いなさい、未知に出会えるから。

『迷ってはいけない。迷うことは、よくないこと。迷わないようにしよう。迷うことなかれ。迷わないためのスキル、迷ったときのノウハウ。知らないうちに「迷うようなこと」をしない方に、自分をしむけているのかもしれません。入り口から入って、出口からでるのが当たり前。そうではありません。迷いなさい。それは、未知に出逢うこと。

Just ask. It keeps you going.(たずねるだけで、前進)

おどろきに心をひらいて

ソクラテスとプラトンは、こう言います。「タウマゼイン(おどろき)の心こそ、大切。知恵を愛し求める者の心。愛知(Philosophia)の始まりはこれより他にない。」人間の英知の営みは、こころの現象と無縁ではありません。新しいひらめきには、驚きがいります。想定内のぐるぐるとした回路から、飛び出す瞬間がいります。

Open up your heart.(心をひらいて)

思いのタネをまく ④ 手入れをすると、タネが芽生える。

ひとつぶのエンパシームをおこせば、その中に、タネをまくことになります。ひと言をじぶんにむけて、声のセリフ(シード)をまくのです。大切なことは、そのタネの手入れをすることです。じぶんをみちびく姿勢をつくることです。じかんをかけることが、手入れになります。それは、エンパシームの中におさまる、小さな間(ま)になって現れます。

Take care of your seeds.(手入れをしよう)

自然を活かす [テクノロジーの本質]

テクノロジーとは何か?ブライアン・アーサーさんはこのように定義します。(1)テクノロジーはすべて要素の組み合わせである(2)要素それ自体がテクノロジーである(3)何かの目的において自然現象を利用している。人間もまた、自然の一部です。人間は、道具を使うだけでなく「ふるまい」でできています。じぶんという自然を活かすために。

A technology is a phenomenon captured and put to use.(テクノロジーとは捉えて利用できるようなった自然現象)

声は「ことばの姿」

Just say hi to yourself. (ひとこと、じぶんにあいさつするだけで)

修養のエッセンスは、静かにすわり、大切に思うことばを声にして、それをじぶんで聞き、くりかえしふりかえること。なぜ、声にして出して、それを聞き入れるのか?それは、その時その時の声こそが、じぶんのことばの姿だからです。小林秀雄のエッセイ「言葉」は、本居宣長の「姿は似せがたく、意は似せやすし」という言葉を引用します。

「生きている」ことより大事なことはない。

「いのちがあるから、生きている」と思っていますよね。実は、いのちがあるから生きているのではなくて、生きているから、そのことを「いのち」と呼ぶのです。生きるとは、じぶんも含めた、周囲の環境全体のこと。いのちは、生きているじぶん。ふれあいをつくる、じかんをつくる。そうやってcreativeであることで、いのちになるのです!

Life is a Verb.(生きるとは、ひとつの動詞)