わけへだてはいらない [心は自由]

胡蝶こちょうの夢という話があります。「ある時、夢の中で蝶になり、じぶんが荘周であることを忘れていた。ふと目が覚める。荘周が夢で蝶となっていたのか、蝶が荘周となっていたのか。」身のまわりの自然に心を寄せるだけでおのずと想像力は働きます。蝶の気分になれる時、それは夢であり、現実でもあります。本来、心は自由。わけへだてはいりません。

Inspire imagination. ひらめく。

いつでも会える [共に感じる世界]

絵本『いつでも会える』は、飼い犬が飼い主をなくす話です。犬のかなしみが人間のかなしみを語ります。犬のよろこびが人間のよろこびを語ります。犬の心と人間の心とがつながっています。犬の気持ちになって、じぶんによりそう、ということができるのです。相手の身になると、じぶんに寄り添えます。私たちは共に感じる世界に生きているのです。

心をこめるふるまいのメソッド

私たちは「身をもって」体験するとか、心をこめて接する、ということの大切さを学びます。ところが、頭の中では知っているつもりでも、「身をもって、の原点は何か?心をこめて、の出発点は何か?」と聞かれると返事に困りますね。それは、文字どおり、身体の姿勢とその場をつくることです。身体のふるまいの中に、私たちは生きているのです。

Act, to be engaged.

じぶんで選べる自由がある

じぶんの身に何かが降りかかった時。どんなことばでじぶんに語るか。マルクス・アウレリウスの「私にはそのように考えない自由がある」は、じぶんの身に起きていることは、世間や常識がどう言うかではなく、じぶんで捉えるというアクションに変えることばです。ひと息で声に出して、みずからに語りかけるアクションこそ、じぶんをはげます力。

Well, things happen for me.(きっと、じぶんのために起きるんだ)