従容 ④ プラクティスに委ねる [自在が理想]

従容録は、仏法の方便が如実に表れています。例えば、専門家ならその道の技を磨くのに、禅問答もせずにつくった米を食べているだけ、という問答があります。仙崖和尚の「これ食うて茶飲め」も似ています。ものさしを変える、習慣を変えることは容易ではありません。そのように思えるプラクティスがいります。その時、心は自由自在になります。

Keep your composure.(落ち着きを保て)

従容 ③ プラクティスに寄り添う [想像がいのち]

「従容録」の英語訳は「Book of Equanimity」です。Equanimityとは、平静、静穏、落ち着くこと。日常的な表現は、Stay calmとかStay composedです。composeとは、組み立てること、秩序だてることです。方便をストレートに表すことによって想像を喚起し、真実に近づく路をつくります。

Keep your composure.(落ち着きを保て)

従容 ② 近づけるメソッド [ものさしを変える]

知識の入力が目的化すると、実践がどんどん減っていきます。禅問答は従容(心の平静)をみちびくためのプラクティスです。禅問答のようだ、と言うと、なんだかよくわからないという意味に取られますが、本来はちがいます。じぶんで考えることをみちびくために「逆転の発想」のような投げかけをします。ものさしを変えるところに近づくために。

Stay composed.(落ち着きをつくれ)

従容 ① みちびくガイドとなる [方便は相手のため]

従容(しょうよう)とは、どんな時でも平静を保てること。相手によりそって、従容へみちびく行為が方便(ほうべん)です。ウソも方便と言いますが、ウソは自分のために偽ること。方便は相手をガイドすること。方便は大乗仏教の基本理念でした。ブッダの教えは平静の路。本来、むずかしいことばを並べることではなく、プラクティスのみちびきです。

Empatheme guides you along.(エンパシームは寄り添って歩む)

心は外側に広がり、内側に深まる

サラマンダーが水面にのぼり、パクッと空気を吸ったかと思うと、またもぐって水中をゆらゆら。倒れた木の肌にそって泳いだり、藻にくるまったり。なんとも言えず、うれしい気持ちになります。これぞ、知魚楽の共感!心はじぶんの外側に広がっています。外側の広がりを感じることが内側の深まりになり、内側が深まると外側はもっと広がります。

Be alone to feel connected.(ひとりだから、つながれる)

共業(ぐうごう)[すべてのいのちは共に生きている]

共業(ぐうごう)ということばがあります。業は行為です。地球上のすべてが存在するという行為をおこなっている。世界はお互いが関係しあい、成り立っています。私たちはじぶんがいて、それが生きていると考えますね。でも実は、環境とやりとりして生きているという現象があるから、いのちなのです。いのちは「共に生きている」ということです。

We all live together.(みな、共に生きている)

松も時なり、竹も時なり (You are time)

道元禅師『正法眼蔵』のことば「松も時なり、竹も時なり」。あらゆる存在のひとつひとつに世界があります。時がなければ、山も海もない。山も海もなければ、時もない。時間と存在は一体です。時は経過ではなく、存在の表す働き。ふだんは忘れていますが、ひと息にのせた声、ひとことのことばが、生きていることを感じる時間の最小単位です。

I am time.(じぶんの存在が時間)

心とは山河大地なり、日月星辰なり

道元禅師『正法眼蔵』のことばから。心は山であり、河であり、大地である。心は太陽であり、月であり、星である。存在しているものすべてが心。元来、ことばはわけへだてをするもの。だから、囚われやすく、すぐわけへだてをしてしまいます。具象的な自然を、みる、きく、ふれることです。想像するという行為を、姿勢に組み込むことが必要です。

You’re not alone.(じぶんだけではない)