Empathemian,「Stay calm」

Stay composed.(落ち着きをつくれ)

立考:方便ほうべんが行きすぎるとウソにすらなりかねない、というお話ですが。
大和:はい。実践が伴わないと、ということです。
立:知識の入力は、それが目的になると、出力、つまり実践が減っていく。
大:よい教えの知識が増えれば増えるほど、じぶんのプラクティスがどんどん減ってしまいますから。
立:入力の過剰=出力の欠如。ギャップが増えるわけですね。
大:従容しょうようを心得るには、知識を活かすプラクティスがいります。
立:禅問答は、方便のプラクティスですね?
大:はい。それ以外の何物でもありません。
立:禅問答のようだ、と言うと、なんだかよくわからないという意味に思われているフシがありますよね。
大:大切なことは、押せばポンと答えがでてくるわけではありませんからね。
立:そこをなんとかみちびこうと、問いを投げかけるわけですね?
大:じぶんで考えること自体がプラクティス。そのために、少々キツイ投げかけをします。
立:だから「逆転の発想」のようなものになるわけですね。(*注1)
大:見方を変えよ、と言われても、何もなしに、考え方が変わるはずはありません。

立:それまでの「ものさし」を変えるためには?
大:ものさし自体の存在に気づく必要があります。
立:ひとりでは気づけない、ということになりますか?
大:はい。問いかけがいります。
立:それが、相手に寄り添うガイド、つまり方便ということなのですね。
大:プラクティスとは、つまるところ、じぶん自身に問いを投げかけるということでしょう。
立:ただ、禅問答を読むのは、たいへんですよね。
大:本来、読むものではなく、プラクティスするものです。
立:ええ。でも私たちのようなふつうの人だってプラクティスしてよいのですよね?
大:もちろんです。
立:読んで親しむ機会があったらよいのですが。
大:そうですね、解説書も、文章解読のようなハードルがありますね。

立:方便がわかりやすく示されているものはありますか?
大:いわゆる「禅語録」と言われる書物です。
立:中国の唐や宋の時代のものですね?
大:「臨済録」や「碧巌録」です。
立:禅問答のオリジナルといってよいですか?
大:よいと思います。
立:「従容録しょうようろく」もそのひとつですね?
大:よくご存知ですね。従容録は元の時代に編まれました。
立:実は、英語で読むと、ずっとわかりやすいと思います。
大:なるほど。それで詳しいのですね。
立:いいえ。プラクティスをみちびくお手本として学びたいのです。

従容 ③ プラクティスに委ねる [流れを整える]へつづく

従容 ① みちびくガイドとなる [方便は相手のため]へもどる

出典・参照:以下のエンパレットなど

(*注1)エンパレットLet it go. [行きづまったら、そっと手放すために]をごらんください。

心の切り替えモード

Try it the other way round. ② さかさまにしてみる