養生をまなぶ一歩

貝原益軒『養生訓』。「庭に草木を植えて愛する人は、朝晩心にかけて、水をやったり、土をかぶせたり、肥料をかけたり、虫をとったりして、よく養い、その成長を喜び、しおれるの悲しむ。どうして自分のからだを草木ほどにも愛さないでいいことか。若い時からはやく養生の術を学ぶことである。」エンパシームは養生のプラクティスになります。

Let’s practice Empatheme.(エンパシームで養生のはじめ)

おどろくこと、たずねること

哲学の語源、フィロソフィアとは、知恵を愛し、求めることです。フィロ(愛する)+ソフィア(知)=フィロソフィア(愛知)。本来、哲学は、説明するものではなく、実践することです。私たちは、ものごとに慣れてしまい、おどろかなくなります。未知に心のとびらを開くには?たずねることです。そのプラクティスで、世界の見え方が変わります。

Ask yourself.

無意識の縁(フチ)を広げる

日常のほとんどは「無意識」です。無意識は「意識がない」ことではありません。意識も無意識も、環境と相互に作用しあう身体の働きであり、そのあらわれです。刻々と変化する状態の全部をあわせて「心」と呼びます。エンパシームには、意識と無意識の境目の、身体行為の縁を写し、プラクティスに利用するための「じぶんのピース」です。

虹のイマジネーション [どこに何を見ている?]

虹(にじ)は、蛇の総称である「なじ」から来ています。昔の人は、色ではなく形から想像を広げました。虹はどこにありますか?実は、空のどこかのきまった場所にあの形をしたものがあるのではありません。空中全体にある無数の水滴のひとつひとつが出している光。それが集まって模様が見えるのです。虹は、光と空気とじぶん(想像)の現象です。

The sun, the rain, and you.(太陽と、雨と、じぶん)

心得のメソッドとは

道元『典座教訓』は、料理の心得を説きます。「食材を料理するのではない。じぶんが食材である。宇宙と一体のじぶんを料理するのである。」そのような気持ちになりきって働くこと。

「心得」とか「心がけ」ということばがありますが、心に得るとか、心にかけることは、頭の中ではできません。身をもって、心をこめる「ふるまい」が必要です。

Act. You’ll realize something. (ふるまえば、何かがなされる)

心の溝を克服するために (1)

テクノロジーが生活を便利にし、人間ができないことをやってくれ、それで人間の生活が豊かになるのなら、それでよいではないか。そんな暗黙の前提で進んでいる現代社会。どこに問題があるのでしょうか?それは、人間の本来の力が社会に活かされにくくなっていることです。そのこと自体が気づきにくく、わたしたちが無自覚にいることです。

What matters most?(いちばん大切なことは?)

共に読み、語り、歩む冒険

幼年・少年期(本当は生涯を通して)声に出して「ものがたり」を体験すると、後々、大きな力になります。読み歩み、読み語りあい、共に感じる時間。英語ではRead aloudと呼びます。声に出すことで「共に感じる」体験が共有され、見えない体験として、身心に刻まれるのです。それは、生涯の贈り物を一緒に手づくりでつくる体験です。

We are making our own stories.

愛語には驚くほどの力がある

道元禅師『正法眼蔵』は、四つの行いを説きます。布施(ふせ)見返りを求めない。愛語(あいご)やさしいことばをかける。利行(りぎょう)自分を忘れて人に尽くす。同時(どうじ)わけへだてをしない。愛語は今できます。人からかけてもらった、やさしいことばを思い出して下さい。そのことばを声にして発するのです。驚くほどの力があります。

愛語を思い出そう。(Be kind)

共感がことばの原点

言語の本質は、外界の事物を客観的に表現することではない。ことばのやりとりが、他に比類のない情報伝達手段であるのは、それ以外では達成不可能な参与者の共感をもたらすからである。他者の動作やしぐさを人間が共鳴するがごとく体感できること。共感がことばの原点であり、下地になった。相手が「私」より先にあったのです。

It is as hard to see one’s self as to look backwards without turning around.