一度の実感で

「もう、100万回聞いたよ!」「100万回言ってもわからないー」つい、こんな、大げさなセリフがでてきてしまうことはありませんか。

絵本『100万回生きた猫』より。

主人公の猫は、100万年、100万人の飼い主のもとで、100万回、死にます。

王様にはじまり、100万人の飼い主は、猫の死を悲しみましたが、猫は一度も悲しみませんでした。猫は誰よりも自分のことが好きだったからです。

エンパシームへの路(2)

声のことばが、希いになる
実は、私には長い間、じぶんでも気づいていなかった「希い」がありました。

20歳の時、父が病気で不随になり、声を発することができなくなりました。私は無力感に苛まれながらも、父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」を使い、手と息とまなざしで、ふれあうことを学びました。これが「エンパシーム」の原点です。

そのことに気づいたのは、10年前に、姉が急逝したことです。開発した新しいスマホを世に出す間に、いちばん身近で大切な人が、突然、消えてしまいました。
当時私は、ネットスマホ社会の「希いの場」という意味あいをこめ、スマホを生み出す土台、その商品シリーズに「エクスペリア」と名づけました。世界を奔走する日々を送りながら、エクスペリアの思いとは裏腹に、私は何ひとつ、姉の助けになることができませんでした。その喪失感と挫折感に苦しんだことで、私ははじめて「存在のありがたさ」に気づきました。

いつでも会える

絵本『いつでも会える』の主人公、犬のシロは、大好きなミキちゃんと死に別れます。飼い犬を失って悲しむ話ではなく、犬が飼い主をなくして悲しむのです。

悲しみにくれるシロを呼ぶ、なつかしい声がします。

空にいるよ。
いつでも会える。
いまも これからも。
ずっと かわらない。