かぞえられる力を活かす

ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー。皿の上の果物を足すと、ぜんぶで何個ですか?

ちがう果物の実を「足す」の?ラズベリーの実はやわらかいので、半分にわれて数が増えたら?全部つぶしてミックスジュースしたら?考えるのは自由です。小学校ですと、先生にまじめにやりなさいとか、テストだとバツをもらうか、ありそうですね。

考えてみると不思議です。なぜ、ちがうものを足すことができるのか?私たちは、視覚、触覚、味覚で、違いを知っています。その一方で、そういう小さいことは、いったん忘れて、つぶのような「もの」として、抽象化する能力も備わっています。学校では「小さいことは忘れて」答えよと言っていることになります。

ひ、ふ、み。

良寛上人に、心月輪というエピソードがあります。

ある家を訪れた際、桶屋が大きな鍋ぶたを作っていました。うまくいかず、壊そうとしたので、良寛さんはそれをもらって「心月輪」と書き、そこに置いていきました。
心月輪(しんがちりん)とは、月のように澄み切った心。清らかに輝く、悟りの境地を表します。

このような解説を見ると、そのような境地に達することは、現代社会に生きる人間には至難のことのように思われ、凡人俗人には無縁な話と決めつけていないでしょうか。

でも、月を見上げて、澄んだ心持ちがする、そのわずかなひと時が、誰にもまねのできない話のようには思えません。月のようなまるい形の板切れに、心が踊る気分になれない、ということでもなさそうです。

いまを実感する単位

ジル・ハンソンさんの『マインドフルネス』の冒頭の一節です。

「最近、ある緩和ケアの看護婦から聞いた話。 彼女の仕事は、終末期の患者が人生の最期に、後悔に苛まれたり、死を恐れたりせず、残された「いま」という時間を最大限、意味あるものにする手伝いをすること。確かに、意味のある仕事だ。ただ、聞けば聞くほど、疑問が湧いて来た。

なぜ、それほどたくさんの人が、臨終を迎える段になって初めて 「いま」を学ぼうとするのか?。
生まれてから死ぬまで、「いま」という瞬間以外に人生はなかったはずなのだが。。」