呼吸はやすらぎ

本間生夫さんは、こう言います。

「呼吸する力は歳とともに老化します。呼吸筋や肺が老朽化して呼吸機能が衰えてくると、この機能的残気量(安静状態でいつも通りの呼吸をしているときに肺に残っている空気の量)が増えてきます。

近年は年齢にかかわらず「浅くて速い呼吸」をしている人がたいへん目立ちます。仕事や家事で時間に追われ、心がやすらぐ間もなく非常にせわしいリズムで生活をしている人が多いため、呼吸にもそういう「せわしいリズム」「余裕のないリズム」になりがち。呼吸のせいで老化している人は多いのです。

呼吸は「体を整える窓口」であり、「心を整える」ことです。

ものに語りかける

柳田邦男さんは、こう言います。
「おでこを物にぶつけた時、怪我をして痛みを生じさせている部分のみに目を向けるのは、近代科学の視点。さらに怪我の程度を調べて、治療法を決めるのは、近代科学の方法である。その視点と方法に従う時、柱や棚や石という物の側は関心の対象外になる。可哀想と思ってもらえるのは、おでこの怪我をしたところだけなのだ。

共に痛む

エンパノートをひらくと、母のseed(声ことば)にこうあった。

「大和さんは、ギックリ肩みたいなもので激痛が走り、夜も眠れないのだそうです。」

身につまされるとは、このことである。

I feel your pain. 痛いよね。

私にも二回、おなじ受難体験があります。
滑液包炎。人間の体の関節には潤滑油の袋があります。
それが炎症を起こします。問題は、違和感がある時に、無理に動かしてしまうことです。無理をして、本格的に炎症を引き起こすこと。
腫れて、神経にふれるから激痛が走る。ギックリ腰より、苦しい。痛みにふれないように寝ようとしても、腕の位置はずれるから、それこそ、1ミリでも動こうものなら、激痛!まったく寝られません。

アタラクシア

アタラクシア。

ギリシャ語に「アタラクシア」ということばがあります。「平静な心」を持つことです。

哲学者エピクロスは、「心の平静」を人間の幸福とみて、そこに生きるための目標をおきました。
ところが、当時のギリシャ哲学において、それが「禁欲主義」に対して「快楽主義」という名前で呼ばれたために、大きな誤解を生むことになりました。
現代の日本語でも、このことばを耳にした人のほとんどは、快楽が「心の平静」という意味だとは思わないでしょう。

エピクロスは、言います。

「快楽とは、一部の人が誤解しているような、享楽のなかにある快楽のことではない。それは、身体に苦痛がなく、魂に動揺がないことである。」

野花はともだち

牧野富太郎『植物知識』より。
われらを取り巻いている物の中で、植物ほど人生と深い関係をもっているものは少ない。まず世界に植物すなわち草木がなかったら、われらは決して生きてはいけないことで、その重要さがわかるではないか。

われらの衣食住はその資源を植物に仰いでいるものが多いことを見ても、その訳がうなずかれる。植物に取り囲まれているわれらは、この上もない幸福である。

自然の宗教!その本尊は植物。
なんら儒教、仏教と異なることはない。

腸のじぶんに、共感。

人間の体を構成する細胞は60兆個。ところが、微生物は腸内だけで100兆個。腸内はサンゴ礁のような生態系。ちょっと、驚きですが、本当の話。

細胞は自分の身内、細菌は他人?それとも、「他人のほうが多いわが家」の方が自分?なんだか、不思議ですね。

この内なる生態系をマイクロバイオータと呼ぶそうです。身体全体で1000兆ぐらい微生物が住んでいるらしい。なるほど、そうだとすると、その「環境」を表すことばが必要だった、というのはわかる気がします。

アランナ・コリンさんは言います。

じぶんは、チューブのようなもの。

「人間は、独立した存在というよりも、マイクロバイオータの容器である。進化で(つまり自力で)やろうとすると、とてつもなく長い時間がかかることを、微生物にお願いして、一緒に暮らすことになった。栄養の摂取は、微生物自身の酵素の働き。わたしたちは腸と共に生きているー」