スマホと共にプラクティスの場をつくろう

私たちは身体サイズで生きています。例えば、呼吸。息を吸いすぎたり、吐きすぎたりはしません。食事も口に入る量をかんで飲み込みます。発話も同じです。声を区切って順に発音します。実は、学ぶ時も身体サイズが重要。学習は、多くを覚えなけばいけない、と気がせいてしまいます。が、自然なふるまいでできない量やスピードは身につきません。

Right size matters.(適切なサイズが大切)

作法を共にする道具があるからこそ

エンパシームは、スマホとしてじゃなく、スマホの存在と、周りの空気と、あなたの小さなふるまいで生まれます。作法のためのテクノロジーです。静かにすわり、気持ちをやわらげて。自然な流れにゆだねて、心をこめて、ゆっくりふるまうだけです。エンパグラフにあなたの姿勢と声と気持ちが映ります。伴走者のような道具の手助けがあるからこそ。

No one can live in your stead.(だれの代わりにも、生きられない)

修養と共感のイノベーション (1) エンパシームでひらく路

人間と機械が共に働き、自然な流れで「間」 をつくり、ふだんは気づいていない人間の力 を引き出す方法「エンパシームメソッド」。9 年あまりの研究開発をへて、日米で発明特許を取得。エンパシームは、修養のイノベーション。「姿勢の鏡」でじぶんをふりかえることによって、身をもっておこない、心を養う習慣を身につけます。

エンパシームへの路(2)[存在のありがたさ]に気づく

20歳の時、父が病気で不随になり、声を発せられなくなりました。父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」を使い、手と息とまなざしで、ふれあうことを学びました。これがエンパシームの原点です。そのことに気づいたのは、10年前に姉が急逝したことです。その喪失感のおかげで、私ははじめて、存在のありがたさに気づきました。

共感の精錬 (8) 現代社会の過剰がもたらすもの

人間が心身のふるまいをつくる技術はアートと呼ばれ、その拡張はテクノロジーと呼ばれる。人間の創造性を外側に広げたものだ。しかし、今やそのテクノロジーが先導する現代文明の姿は、息がつまるほど性急で、著しく過剰で複雑だ。だが、現代社会は過剰というものの姿が見えず、声が聞こえず、肌で触れて気がつくという機会がなくなっている。