Three schoolgirls in uniform on a rainy street; one kneels to arrange study materials on the wet pavement while umbrellas shield them.
Empathemian『Unlearning』

What if it were me? (もしじぶんだったとしたら?)

雨の下校時間。
傘をさした子どもたちが、家路を急いでいます。

道ばたで、ひとりの子が転んでいます。
そばにいた子が、駆け寄って声をかけています。

何があったんだろう?

持ち物は、びしょ濡れ。
ケガはなさそうかな。

その様子を見ながら、ふと頭をよぎります。

じぶんだったら、どうしただろう。

目の前で起きているのは、その子のことです。
でも、「じぶんだったら?」と思った瞬間、少し見え方が変わります。

It could have been me.(じぶんが当事者だったかもしれない)

じぶんがそこを歩いていたかもしれない。
転んだのはその子ではなく、じぶんだったかもしれない。

起きてしまった後から見れば、転んだのはその子です。
その事実は変わりません。

でも、起きる前から「その子に起きること」と決まっていたわけではありません。

結果を知った後から見ると、私たちは、起きたことまで初めから決まっていたように見てしまいます。

Empathemian『Unlearning』

「だったかもしれない」という見方は、他人に起きたことだけではありません。

じぶんの過去にも、同じことが言えます。

駅に着くと、乗るはずだった電車が、目の前で走り出してしまいました。

「ああ、間に合わなかった。」
そのときには、ただの失敗です。もう少し早く家を出ればよかった。途中で急いでいれば間に合った。そう思います。

でも、その出来事の意味まで、そのとき決まったのでしょうか。

⚫︎次の電車に乗る。
⚫︎予定していた時間がずれる。
⚫︎いつもとは違う人や出来事に出会う。
⚫︎その後の一日の流れが少し変わる。

何が起きるかは、まだわかりません。

もちろん、電車に乗り遅れたら、何かよいことが起きるという話ではありません。何も起きないかもしれません。ただ遅刻するだけかもしれません。

大切なのは、起きたことと、その意味は同じではない、ということです。

起きたことは変えられません。でも、変えられないのは出来事であって、その出来事の意味まで固定されているわけではありません。

⚫︎学生のころ、入りたかった学校に入れなかった。
⚫︎やりたかった仕事につけなかった。
⚫︎思いどおりにいかず、途中であきらめた。

そのときには、「失敗だった」と思ったかもしれません。

It seemed like a failure at the time.(そのときは、失敗に思えた)

でも、その後、別の場所へ行き、別の人と出会い、別の経験をします。

10年たつ。
20年たつ。
30年たつ。

新しい経験が加わるたびに、昔の出来事が、少し違って見えることがあります。

「あのとき、あの道に進まなかったから、ここに来たのかもしれない。」

だからといって、「失敗ではなかった」「あれでよかった」と言い換える必要はありません。
よかったのか、悪かったのか。それさえ、ひとつに決めなくてもよいのです。

Maybe it meant something different.(もしかしたら、ちがう意味があるのかもしれない)

反対に、そのときには何の意味も感じなかったことが、後から大きな意味をもつこともあります。

⚪︎たまたま隣に座った人と話した。
⚪︎何気なく一冊の本を手に取った。
⚪︎誘われて、知らない場所へ行った。
⚪︎毎日、同じ道を歩いて学校から帰った。

そのときには、それが何につながるのかなど、わかりません。でも、ずっと後になって振り返ると、「あそこから始まった」と思うことがあります。

子どものころの何でもない一日が、何十年もたってから、かけがえのない思い出になることもあります。

意味は、出来事と同時にできるとは限りません。後から経験が加わり、別の出来事とつながり、じぶん自身も変わっていく。その中で、それまで見えなかった意味が生まれてきます。

Meaning comes later.(意味は後からできる)

だから、何かをする前に、その意味をすべて知ることはできません。

「それをやって、何になるの?」
「そんなことをしても、意味がない。」

そう思って、やらないこともあります。

もちろん、何でもやれば意味が生まれるわけではありません。
でも、まだしていないことが、後になって何につながるかもわかりません。

やってみれば、経験が残ります。
その経験が別の経験とつながって、ずっと後から意味をもつこともあります。

⚫︎あれは失敗だった。
⚫︎あの時間は無駄だった。
⚫︎あの選択は間違いだった。

そう見ていたのは、そのときまでのじぶんです。

いまのじぶんには、あのときにはなかった経験があります。

起きたことは変えられなくても、もう一度、見直すことはできます。

⚪︎だったかもしれない。
⚪︎ちがう見方もあるかもしれない。

そう声にして、決めつけていた意味に少し余白をつくる。

私たちは、経験から学びます。
だからこそ、経験からつくった見方に縛られることもあります。

学んだことを捨てるのではありません。
決めつけた見方を、もう一度ひらく。

逆から見てみる。
「だったかもしれない」と言ってみる。
いつもの見方に、少し余白をつくる。

それが、Unlearningです。

作(文・挿絵・声に出すことば・声):坂口立考
出典・参照:以下のエンパレットノートなど

暗黙の前提を入れ替える原理|Unlearning シリーズ(7回)

⚫︎話は逆です(結果を原因と思い込むクセ)|Unlearning ①
⚫︎答えは内側にある(答えを外に探すクセ)|Unlearning ②
⚫︎〇〇なんてものはない(概念を実体だと思い込むクセ)|Unlearning ③
⚫︎ 引き算せよ(足りないから足すと思い込むクセ)|Unlearning ④ 
⚫︎ おかげさまです(自分だけが原因だと思い込むクセ)|Unlearning ⑤
⚫︎ トライするから変わる(やる前に結論を決めつけるクセ)|Unlearning ⑥
⚫︎ 意味は後からできる(起きたことの意味を決めつけるクセ)|Unlearning ⑦

Unlearning シリーズ(まとめ)

話は逆です(結果を原因を思い込むクセ)|Unlearning ①

私たちは結果を原因だと思い込み、後から理由づけしてしまうことがあります。「忙しいからできない」「勇気がないからやらない」「聞き取れればまねできる」。本当にそうでしょうか。話を逆にしてみると見えなかった原因が見えてきます。さかさまに言ってみると、いつもの見方が反転し、新鮮になる。それがUnlearningのプラクティス。

答えは内側にある(答えを外に探すクセ)|Unlearning ②

教材やレッスンは買えても、能力は外から買えません。じぶんの内側に育つものです。それなのに、私たちは答えを外に、しかも先に求めがちです。じぶんで考え、やってみて、確かめる。そのプロセスからじぶんの答えが生まれます。答えは先にもらうものではなく、内側につくる。「答えは外」「先に聞くと得」という暗黙の前提を取り外しましょう。

〇〇なんてものはない(概念を実体だと思い込むクセ)|Unlearning ③

成功、習得、継続、習慣。ことばで名前をつけると、実体のないものも、ひとつの「もの」のように見えてきます。ことばは、そこにないものまで語れる人間の力です。だからこそ、名前と実際に起きていることを取り違えないこと。それはどういう状態か、実際に何をしたのかと問い直し、概念を実体と思い込むクセをUnlearningします。

引き算せよ(足りないから足すと思い込むクセ)|Unlearning ④

うまくいかないと「まだ足りない」と思い、もっとやろうとする。でも、原因は不足ではなく、すでにある邪魔かもしれない。見えないボトルネックや、くり返しているクセに気づき、ひとつずつ減らしていく。足す前に引いてみる。減らすことで本来の力が働き、ゆとりや可能性が生まれてくる。じぶんの中に余白もできる。Less is more.

おかげさまです(自分だけが原因だと思い込むクセ)|Unlearning ⑤

私たちは、何かができるとその原因をじぶんの意志や能力、努力に求めがちです。でも、行為はじぶんだけで生まれません。環境が行為を可能にする「アフォーダンス」に目を向けることです。「おかげさま」と声に出せば、じぶんだけが原因という見方を外し、あたりまえで見えなくなっているものに気づけます。見方を切り替えるプラクティスです。

トライするから変わる(やる前に結論を決めつけるクセ)|Unlearning ⑥

やる前から「たぶん無理」と決めつけていませんか。30%のチャンスも5回あれば、少なくとも1回起こる確率は80%を超えます。しかも、トライすれば経験が生まれ、次の条件も変わる。感覚でつくった「たぶん」を確率と思い込み、じぶんで可能性を下げるクセに気づく。トライして、未来の確率を動かすUnlearningのプラクティス。

意味は後からできる(起きたことの意味を決めつけるクセ)|Unlearning ⑦

起きた出来事は変えられなくても、その意味まで固定されているわけではありません。そのとき失敗や無駄に思えたことも、経験が加わり、10年、20年とたつうちに違って見えることがあります。意味は後からできる。経験から学ぶからこそ、その見方に縛られず、「だったかもしれない」と余白をつくる。それがUnlearningです。