共感の心、あそびの心

下手も絵のうち
そう言われると、すこし励まされますね。ただ、下手でいいから、やってごらんよと言われても、まだ、勇気がいります。誰も見ていない、自分だけのものでさえ、自分は下手だと思うとやれないもの。

私たちは、物心ついてからずっと、「物事を比べて、分ける練習してきました。「うまいか・へたか」「よいか・悪いか」「自分のためか・誰のためか」など、常に「判断」することが身についているのです。

じぶんが生きていくのに、上手も下手もない
「判断」は、生きていく上で必要なことです。「判断」はなくなりませんし、なくなっては困ります。でも、その一方で、何かを「しようとする」時、足かせになります。この「矛盾」は克服できるのでしょうか。

ひとり、くるくる、たのしむ。

画家・熊谷守一さんは「ひとりたのしむ」達人でした。

わたしは好きで絵を描いているのではないんです。絵を描くより遊んでいるのがいちばん楽しいんです。

絵を描くのに場合によって、初めから何を描くのかわからないのが自分にも楽しい。描くことによって、自分にないものが出てくるのがおもしろい。

「すること」そのものが楽しいのですね。はじめから決まった「答え」を探すのではなくて、なにかおもしろいものに出逢えること。それが、たのしい。
そのようにしているうちに、絵ができる。

ふしぎ

そこから とびだしてきた!
みんな おとのなかに はいってる
おとのなかに、ぼくも くうきも

おとのほうが
みえるへやよりも ずっとひろい
おとなのに よくみえる

えは そのはんたいの ふしぎ
とまっていたのに みんな うごきだす

了海になった日のこと

絵に描けるほど、目に焼きついているシーン。声がきこえてくるような思い出。
そう聞かれたら、何が思い浮かびますか?

私は、ある紙芝居です。

その日は、天神講の集まりでした。小学校にあがる直前の、うららかな春の日。
天神講は、天神さま、菅原道眞のおまつりです。
同じ地区のこどもが、年長の小学生の家に集り、丸一日遊んで過ごすので。10人の小さな集い。

天神さまへのごあいさつをすまして、さっそく遊びます。そのいちばんはじめが、紙芝居でした。