ことばの種は、あとから芽生える

父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」がふれあう場でした。父の左手を支え、指先がひらがなにふれるごとに、私が一音ずつ発音します。ことばは、声で、声は息でできています。息は身体のふるまいで、そのふるまいは、お互いが相手とふれあう小さな空間で生まれます。そこにできる、じかんのリズム。それが心であり、ことばです。

Live for others.

水の作法 [手のかたちが覚えている]

5歳の頃、私の家は「井戸水」でした。ポンプから手に水を注いで、飲む時。しぜんに、手のかたちが水のかたちになります。今でも「大切」ということばを聞くと、ふとあの状況が思い出されます。手でつくった小さな器ぶんの水が「大切」ということばの響きと結びついています。水を包む手のかたちが作法の原点。手のかたちで覚えているのです。

You act is your self.

手がかりは、身のまわりにある。(しっかりふれさえすれば)

人間は宇宙の一部。この身を包んでいる自然と共に生きています。すべてのものごとは、きっとおなじ原理で働いているのだろう、と想像したりもします。でも、それは、なかなか、確かめようがありません。

そうです、自分で自分を観察することが、なかなかむずかしいのですね。観察者になろうとしても、自分は当事者であるからです。私たちは、気がつかないうちにいろいろな判断をし、また体験をしながら生きています。

観察者であり、当事者。判断者であり、体験者。
そのような存在であることは、変えられません。