Unlearn the cause-effect rule.(原因→結果のルールを克服しよう)
ご縁をえて、中学生のみなさんにお話する機会がありました。
テーマは「つくる」です。
「つくる」には、なんでも入ります。
「もの」でも「こと」でも。
ものの見方をつくる。
ものごとの見え方をつくる。
みなさんは、こんなふうに言われてきましたか?
何か新しいことをしようとする時に、こんなことを言われたことはありませんか?
アドバイスが偏ると、身動きがとれなくなってしまいます。
こんなふうに言ってもらったら、気が楽になるのですが。
でも、だれも言ってくれません。
では、どうしたらよいでしょうか?
こたえは、シンプルです。
じぶんで、じぶんにそのように言えばよいのです。
単なる気休め?
「単なる」とつける必要はありません。
まず、気を休めてから。
「原因→結果」で考えるのが常識とされていますね。
でも、実は、世界はそうなっていません。
字が小さくて読めない?
見えないぐらい小さいけれど、こんなふうになっていると想像してみましょう。
ある結果があった時に、原因だと思うことがあるだけ。
じぶんでそのように決めているだけ。
本当は:
・原因はひとつではない
・結果もひとつではない
・ほんの一部分を(じぶんで勝手に)切り取っているだけ
それぐらい無数のことがあります。
空気分子のように。そんなイメージを持つと、心強くなります。
結果論ということばがあります。
あーすればよかった、こーすればよかったと、後から言うこと。
実は、結果論などと呼ばなくても「原因→結果」というごく一部だけを捉えようとすること自体が、とても偏っているわけです。
無数の、未知の可能性があるのです。
後から、じぶん自身の受け止め方を変えることができます。
ニュートラルな気持ちになれたほうが、ずっと気楽になれます。
気楽な分、行動しやすくなるので、可能性が増えます。
何かをすれば、あとから、つながりができます。
「やって失敗して後悔する」ことと「やらないで、あとからやればよかったと後悔することは、おなじではありません。
やれば、やりなおすことができます。
やらなかったことを、やりなおすことはできません。
やってみて、損することはありません。
失敗にせよ、何にせよ、後から、意味が生まれてくるのですから。
量子物理学者の渡辺慧さんは、このように解きました。
「因果性と目的性はひとつの事実のふたつの面である。」
「生命は生きるために因果性を必要とする。世界は因果性を提供する。世界は因果性である。そして因果性は時間である。
われわれは欲している事象つまり目的ー現在における行動はそれをうるための手段の役割を果たすわけであるがーを結果としてもつような原因をうまく設定できるように現在の行動を選ぶ。因果的知識は、意思の道具として生み出された。」
「原因と結果がある」のではなく、あるかのように生きているのです。
だから?
決めつけてしまう必要はないということです。
でも、過ぎてしまった時間は取り戻せない?
心配はいりません。
じかんをさかのぼることもできます。
この続きは、こちらのエンパレットにて。
出典・参照:坂口立考「広尾学園中学校での講演」(2021.6.24)、渡辺慧・渡辺ドロテア『時間と人間』