Embrace.(心に抱いて)
数学者・岡潔は、こう言います。
「先生が山とか川とか木とかを教えるとき、例をもって教える。児童のこのわかり方は、「感覚的にわかる」のである。「形式的にわかる」といってもよい。もう少し深くわかるのは、意味がわかるのである。これを「理解する」という。しかしここにとどまったのでは、いろいろの点で不十分である。まず知的にいって、進んで「意義」がわかるまでゆかなければいけない。でないと、えてして猿の人真似になってしまう。意義がわかるとは全体の中における個の位置がわかるのである。だから、全体がわからなければ何一つ本当にはわからない。このわかり方はいわば心の鏡に映るのである。
しかし、いま言おうと思っているのはそれではない。たとえば他の悲しみだが、これが本当にわかったら、自分も悲しくなるというのでなければいけない。一口に悲しみといっても、それにはいろいろな色どりのものがある。それがわかるためには、自分も悲しくならなければだめである。他の悲しみを理解した程度で同情的行為をすると、かえってその人を怒らせてしまうことが多い。軽蔑されたように感じるのである。
Sorrow is flower of life.(悲哀は人生の花)
これに反して、他の悲しみを自分の悲しみとするというわかり方でわかると、単にそういう人がいるということを知っただけで、その人には慰めともなれば、励ましともなる。このわかり方を道元禅師は「
You become it.(じぶんがそれになる)
英語のunderstandということばは「理解する」と訳されます。
under(下に)+stand(立つ)という語源は、相手の下に身を置くことです。
「英プラを詳しく知ろう (3) 目・耳・手・口で身につける「2秒単位の声の出し入れ」100万回」
出典・参照:岡潔『夜雨の声』、