寄りそいあえるコミュニケーション(1)[向きあうばかりではない]
向きあうことが大切。相手にも、じぶんにも。そう言われます。でも、いつも向きあえるわけではありません。向きあうことが大切ということばが出てくる時。それは向きあいづらい何かがある時です。心が不自由な時に、向きあえ!というのは、矛盾していませんか?向きあう以前にすべきことがあります。向きあう以上に、大切なことがあります。
向きあうことが大切。相手にも、じぶんにも。そう言われます。でも、いつも向きあえるわけではありません。向きあうことが大切ということばが出てくる時。それは向きあいづらい何かがある時です。心が不自由な時に、向きあえ!というのは、矛盾していませんか?向きあう以前にすべきことがあります。向きあう以上に、大切なことがあります。
25歳の時、父が他界した。成人してから5年間あまり、半身不随・構音障害で病に伏していた父の看病の日々だった。父の手を取り「ひらがな文字盤」で会話した。父はひらがなで「ひとのため ていねいにいきよ」と言った。あの体験がいまのじぶんに直結している。素手のありがたさ、素声のありがたさよ。いのちのありがたさが希望に変わる。
Stay humble, be giving.(謙虚な心、感謝の心)
ユージン・スミスは水俣の人々と共に暮らし、被害者家族との関係を築きながら「ミナマタ」を表現した。「絵や写真が直接、病気を治癒したり、世界を変えたりはしないが、共感の心にかたちをあたえ、よびかけ、それをわかちあえる力ははかり知れない。」エンパグラフィも同じ思いである。エンパシームは小さな声、共感のかけら、[いま] の証。
Empathy is our precious resource.