Empathemian 『みち』Menlo Park, California

ある写真の鮮明な記憶がある。

『ライフ』に特集された『排水管から流れ出る死』。ユージン・スミスは水俣の人々と共に暮らし、被害者家族との関係を築きながら、共同体の内側を表現した。母に抱きかかえられて入浴する娘は、四肢全身が麻痺し、目も見えず耳も聞こえない。環境汚染による水銀の鉱毒が人間の中枢神経を破壊する事実。公害の被害者・遺族にふりかかった苦難の現実。その中で生きる人間の勇気。

古からいのちをつないできた土地の名前が「病気の名称」となり、それが「救済の線引き」対象にされたミナマタ。共に生きる人間に対しても、自然に対しても、「共感のまなざし」が欠乏する社会の現実。妨害の暴行にあって脊椎を痛め、失明しながらも渾身の仕事を続けたスミス自身はこう綴る。

「写真は小さな声に過ぎない。
だが、一枚の写真が人の心に響き、感性と理性の触媒となって、遠い人々への理解や共感をもたらすこともある。」

「絵や写真が直接、病気を治癒したり、すぐに人生を変えたり、世界を変えたりはしない。 しかし、共感の心にかたちをあたえ、よびかけ、それをわかちあえることの力ははかり知れない。」

いま、フォトグラフィということばを、エンパグラフィに変えてみる。
エンパシームは、じぶんの息、声、姿勢のはいった、間(ま)。エンパグラフは、それらの断片を、写真のように、写し出したもの。

共感のかけら。

じぶんの、[いま]の証。

サイエンスの力、テクノロジーの力、アートの力、そして素のふるまいの力。
これらを調和させ、ひとつの自然な流れにすることで、ひとつぶの「共感の力」を日常の中に活かすことができる。
エンパグラフはそれを表現し、残し、わかちあうことのできる資源になる。

共感の資源。

出典:ユージン・スミス『Minamata』、坂口立考『丹生のみち、共感の精錬』(谷川健一創刊「海の宮」16号)