Sow a seed. (思いのタネをまこう)
ラルフ・エマーソンの詩に、こんなことばがあります。
思いというタネをまいて、行動を刈り取る。
行動というタネをまいて、習慣を刈り取る。
習慣というタネをまいて、自覚を刈り取る。
自覚というタネをまいて、使命を刈り取る。
生きることは、タネをまき、じぶんで育てることです。
なるほど、とても、いいことばですね。
そう感じるのですが、思いのタネをまくとは、何をすることなのでしょうか?
だれが、思いのタネをまく?
もちろん、じぶんです。
じぶん自身で、まくのです。
では、思いのタネって何?
じぶんのことばです。
じぶんのことば?
そうです。じぶんで、声に出して言う、ことばです。
思いのことばを、声にだすことが、タネをまくことです。
でも、どうやって?
ひと息の声にだして、じぶんに、ことばをかけるのです。
それは、空気の響きになり、じぶんの身にもどってきます。
どこにまくの?
静穏(しずかで、おだやかな状態)の中にある、じぶんが、思いのタネをまく土壌です。
声に出すだけ?
なんとなく、それだけでよいのかなぁ?と考えてしまいますよね?
もう一歩踏み込んでみましょう。
たとえば、こんな経験はありませんか?
「勇気を出してやってごらん」とだれかに言われたり、じぶんでそう思った経験。
勇気を出して行動すべき時がありますよね。
その「勇気」は、どこから、どうやって出てくるのでしょうか?
「よーし、勇気を出すぞー」と意識すれば、でてくるのでしょうか?
なかなか、そうはいきません。
「身についていない」ふるまいは、とつぜん、おこなうことはできないからです。
一度もプラクティスをしたことのないことは、いきなり、できないのです。
ある日突然、それも瞬間的に、勇気のある行動は生まれてきません。
一度も「声に出して、じぶんにむけて、ことばを出す」ことがないことは、実現しません。
では、いつ、プラクティスするのでしょうか?
どこで、プラクティスするのでしょうか?
何をプラクティスするのでしょうか?
それは、本当に、思いのことばを声にだして言うことです。
頭の中で「考えただけ」では、プラクティスにはなりません。
おいしいイチゴのことを思い浮かべただけでは、イチゴを味わったことになりませんね?
それとおなじです。
エマーソンさんのことばに感心しても、それだけではまだ、何もしていないのです。
声のことばにだして、じぶんに向けることが、第一歩です。
それで、おしまいではありません。
それをすると、はじまるのです。
「勇気を出す」に限らず、「やさしくなる」でも、「おだやかにする」でも、おなじです。
タネはまかなければ、芽はでてきません。
芽がでなければ、葉も、花も、実もありません。
思いのタネもおなじです。
ことばを声にしてまかなければ、そのことばは実になりません。
じぶんの身につかないのです。
では、どんなことばを言ったらよいのでしょうか?
心配はいりません。
なにもわからないところから、はじめるからこそ、「タネまき」になるのですから。
実は、ことばが先にあって、それを出すのではなく、声に出していうことで、じぶんの思いに気づくのです。
思いは、はじめから、頭の中にあるのではありません。
声にだして、じぶんで聞くからこそ、だんだん、タネになってくる、のです。
まず、こう言ってみましょう。
Sow a seed. (タネをまこう)
本当に、声のことばが、じぶんの中で、じぶんのまわりで、育つのです。
思いのタネをまく(2)どこでつまずくの? (明日のエンパレットに続く)
「ことばのタネを育てるから身につく(動画)」
流れ星とねがい ①
「種の中の種子が育つように」
「人生の目的は幸福」ではない。(ラルフ・エマーソンのことばをテーマにしたエンパレットへの入り口)
出典・参照:坂口立考 講演『つくる』、英プラガイド、毎プラガイド
・広尾学園中学校でのオンライン講演『つくる』(2021.6.24)
・飯能第二小学校でのオンライン講演『英プラ・思いのタネをまく』(2021.7.13)
・ベトナム貿易大学でのオンライン講演『Create』(2021.5.31)
ラルフ・エマーソンの詩は、こちらです。
“Sow a thought, and you reap an act;
Sow an act, and you reap a habit;
Sow a habit, and you reap a character;
Sow a character, and you reap a destiny.”
もしエマーソンさんがいまここにいたら、エンパシームで「修養のプラクティス」として「思いのタネ」をまき、育てていく心の路をつくる話を聞いていただきたいですね。その思いのタネをまくように、オリジナルのことばを訳してみました。