Empathemian『Poison Oak & Poison Ivy』

Pain is companion for life. (痛みは生涯の友)

紅い葉は、ポイズンオーク (Poison Oak) 、緑の葉は、ポイズンアイビー (Poison Ivy)です。
アメリカでは、いたるところに生えているウルシ科の植物。

3枚の葉がオークに似ている灌木がポイズンオーク。
ツタのようにはい上がって、からまるのがポイズンアイビー。

ポイズンという名がついているのは、他でもありません。
かすかにでも触れたら、かぶれてたいへんなことになります。

オークがある山の辺のトレイルでは、路の両側に生えています。
その知識はあっても、用心していても、どこかで触れてしまうことがあるものです。

Empathemian『Outlook Trail, Cupertino』

葉にも茎にもふれるだけで、ウルシオルと呼ばれる樹液は、わずかでも体につくと、まさに毒が身体中に染みるようです。 虫さされかな?と気がつくまでに、1ー2日かかるため、すでにさわったりかいたりして被害は広がっています。

そのかゆさは「筆舌に尽くしがたい」ほどです。 強烈な毒性に対して、身体の免疫機能が反応するため、患部が化膿したり、腫れたりするだけでなく、 連鎖的なアレルギー反応がおこり、湿疹が全身のいたるところに広がることもあります。

特効薬はありません。度合いにもよりますが、回復には、1ヶ月以上かかることもあります。

実はいま、3週間をすぎてようやく、すこしずつ痒みがやわらいできました。
身をもって体験することは、貴重です。 じぶんから毒に触れることはありませんから、このような機会は、心の修養にしたいものです。


((Empathemian『Companion for life』

(1) じぶんの身体を観察する
一時は、見るも絶えない姿になりますが、これはじぶん自身の姿です。 皮膚全体でひとつの臓器と言われます。 身体内では起きていること、免疫のしくみも、見えないけれど、こうして刻々と変化する様子を観察することができます。

(2) じぶんをふりかえる

「千に三つ」ということばがあります。ものごとは1000回すれば、3回ぐらい起こる可能性という意味です。 いいことも、そうでないことも「1000回やれば、3回遭遇する」という経験値。 山の辺のトレイルを、800回ぐらい歩いたのですから、このようなことにめぐりあっても不思議はありません。 もっと前に、ふれていたかもしれません。何かを学べるチャンスにちがいありません。

Empathemian『A close encounter』

(3) じぶんひとりではない
ものすごい数のひとが、このポイズン体験をもっています。じぶんだけでありません。そう思うと、共感の気持ちで、ほんのすこしだけ、 かゆみも気が楽になります。

(4) 静かに、待つ

静かに、回復を待つしかない。他には何もできない。そのことを受け入れること。 そして、待てば、かならず、回復して元気になる。 「信じて、静かに、待つ」ことほど、修養になるものはありません。

修養とは、身をもって体験し、心を養うことを言います。

修める(おさめる)とは、身の中にしっかりおさめて、その体験を大切にすることです。 養うとは、やさしくみまもり、育つのを待つことです 。

だれでも、貴重な体験があるでしょう。
それを、ひとこと、声のことばに変えて、じぶんの身の中に修めたいものです。

そして、「身をもって」おこなうという心を育てたいものです。

エンパシームはそのためにあります。

Pain is companion for life. (痛みは生涯の友)

Itch is companion for life, too. (かゆみも、生涯の友)

出典・参照:以下のエンパレットなど

「いたむから、わかる」

「共に痛む」

「痛むから、じぶんを学ぶ」

「失うことはまなぶこと」

「Poison Ivy」