貝原益軒は、『
「養生とは。庭に草木を植えて愛する人は、朝晩心にかけて、水をやったり、土をかぶせたり、肥料をかけたり、虫をとったりして、よく養い、その成長を喜び、しおれるの悲しむ。どうして自分のからだを草木ほどにも愛さないでいいことか。若い時からはやく養生の術を学ぶことである。身を慎み、生命を大事にするのは、人間最大の義務である。
人間にはいろいろなわざがある。わざをみがく道を術という。そのすべてのわざには、習熟すべき術がある。その術を知らないとそのことができない。そのうち至って小さい芸能も皆その術を学ばないで、そのわざを習わないと、そのことができない。たとえば、みのを作ったり、かさをはったりするのは、たやすいわざであるが、その術を習わないと作れない。
養生の術を知らないで、自分の心の欲にまかせていては、どうして養生の道を身につけて、生まれつきの天寿を保てよう。
何事でも、つとめてやまないなら、必ず効果がある。例えば、春に種をまいて夏によく養分をやれば秋の収穫が多いようなものだ。もし養生の術を務めて学んで長く実行すれば、その効果として丈夫になり病気にならず、天寿を保ち長生きして、長く楽しめる。
およそ人の心には、天地よりもらった至高の和の元気がある。これが人の生きている理である。草木の成長してやまぬように、つねにわが心のうちには天気が生きてやわらぎよろこぶ勢力の絶えないものがある。これを名づけて楽しみという。」
Let’s practice Empatheme.(エンパシームで、養生のはじめ)
エンパシームは、心をやわらげて、じぶんという土壌をつくります。
そこに、声のことばの種をまいて、育てます。
その行為が養生であり、プラクティスです。
出典・参照:貝原益軒『養生訓』、以下のエンパレットなど