Empathemian 『We are one』

You always interact with your “self”.(いつも、じぶんとやりとりしている)

私たちは、ふだんとても重大なことを忘れてしまっているようです。
「ひとりでも相手にかけることばと共に生きている」ということを。
じぶん自身が「内なる声の対話」でできているのです。

浜田寿美男さんは、このように言います。

「ことばとは何か?「語と文法からなるシステム」と言うと、
ことばが先にあり、それを使ってやりとりするように聞こえる。
が、そうではない。」

「他者との対話(ことば以前の対話)から、ことばが生まれてくるのであって、
その逆ではない。
対話性があるから、そのように、ことばを獲得するのである。
他者との関わりこそが本質である。」

「自分の声を聞くという行為。
しゃべる行為そのものは無意識だが、実は、相手が自分の声を聞いていることを確かめている。
決して、おまけに自分にも聞こえるのではない。
話すという行為は、聞くという行為と一体になっている。

「私たちは、記憶や想像というかたちで、
声にはださないが「内なる他者」にふだん話しかけ、
「内なる他者」の声を聞いている。
目の前に他者がいなくても一人二役のことばをごく自然に発することができる。
いわば、自我の「二重性」があり、それが対話回路のようにして、回り続けている。」

「自我という実体があるのではない。
他者との関係性のなかに生まれたもの。
ことばが対話であるのとおなじ意味で、「私」も対話であるという言い方も可能かもしれない。」

I am the dialogue with myself.(対話がじぶん)

じぶんは、脳内でつねにことばを発しています。
相手を聞く時にその声をなぞらえ、
いまここに相手がいても、いなくても、その声を再現しています。

インナースピーチ(じぶんという内語)。
それは、頭の中に単語の在庫があるのではりません。
外に向けては音がでないけれど、内側で肉声音のすることばが、縦横無尽に発せられています。

無意識のうちにインナースピーチを使って生きています。
それが、じぶんです。
相手がいるから、じぶんという現象があり、
じぶんの中に、声の形で相手が生きています。

そう思うだけでも、世界はちがって見えてきます。

出典・参照:浜田寿美男『「私」とは何か・ことばと身体の出会い』、以下のエンパレットなど

「内語をふるまう」

「ゼロ人称のじぶん(発話以前のわたし)」

「インナースピーチ 心の中のことばを抽出する(1)思考を形づくる内語」

「プラクティスのツボ⑥相手』「相手を思う気持ちで」

「ふれあう相手が先にある[心の連続がコミュニケーション]」

浜田寿美男