方便は相手のため|従容①

従容(しょうよう)とは、どんな時でも平静を保てること。相手によりそって、従容へみちびく行為が方便(ほうべん)です。ウソも方便と言いますが、ウソは自分のために偽ること。方便は相手をガイドすること。方便は大乗仏教の基本理念でした。ブッダの教えは平静の路。本来、むずかしいことばを並べることではなく、プラクティスのみちびきです。

Empatheme guides you along.(エンパシームは寄り添って歩む)

だれもが相互存在のじぶん

ティク・ナット・ハンは、言います。「一枚の紙は、多くの要素の結実であるように、ひとりの人間は、その個人ではない要素で成り立っている。」私たちは Inter-being「相互的存在」です。そのような存在である、じぶん自身と関わることが、本来の「瞑想」の意味です。「もの」に共感することは、存在の本質に関わることなのです。

Clouds are floating in the paper.(この紙の中に雲が浮かんでいる)

安らかに生きるプラクティス[仏教ではなく、仏法]

仏教は、仏の教えと書きますが、これは明治につくられた言い方で、それまでは仏法でした。人間にとって最も切実なテーマは「生老病死」という「解決はできない」問題です。が、解決できずとも、安らかに生きることで「克服」できます。この宇宙のあらゆる存在に共感して、安らかに生きるプラクティス。そちらへみちびいてくれる智慧が仏法です。

Relax.Let it go.(心を楽にして)

実生 [じぶんという種子]

岩田慶治『花の宇宙誌』はこう言います。「気がかかりなことは忘れて、無駄な思わくにとらわれなければ、あたらしいアイディアが浮かぶか?それなりの効用もあるかもしれないが、頭の中のモヤモヤの掃除をしただけでは何も生まれてこない。自分自身の根っこ、その「出所」に出会うこと、自覚が大切。実生(発芽したばかりの植物が芽生える)こそ。

I am a seed.(じぶんという土壌から芽生える、ひと粒の種子)