しあわせる

「しあわせ」ということばについて、玄侑宗久さんは、このように言います。

「日本語に「しあわせ」という言葉がありますが、そこには『荘子』や禅の受け身をよしとする考え方が強く生きているように感じられます。

「しあわせ」は、奈良時代には「為合」と表記しました。「為」は「する」という動詞ですが、その主語は「天」です。天が為すことに合わせるしかない。それが「しあわせ」という言葉の由来です。この言葉はほぼ「運命」と同じ言葉でした。

「しあわせだなあ」というのは、思わぬことが起こったけれど、なんとかしあわせることができてよかった、ということ。自分の意思で事前に立てる計画とは、無縁の世界、完全に受け身の結果なのです。」

目的は、ねがいの中にある

人は何のために生きるのか?

どこから、どう考えてよいものか。などと考えている間にも、「生きている」という状態は、刻々と展開しています。だから考えないでもよい、という意味ではありません。「生きること」について、数えきれないほどの本や記事があります。でも、じぶんを導いてくれるような、導きのことばはどこにありますか?

メーテルリンクの童話『青い鳥』で、兄妹チルチルとミチルは、夢の中で、青い鳥を探しに行きます。過去の国にも未来の国にも、どこにも、その青い鳥は見つかりません。ところが、家に戻ってみると、青い鳥は、いちばん身近な、鳥カゴの中にいました。

しあわせとは共に感じる道

アリストテレスは、人間の理想とすべき幸福について説きました。
それは、「善き心」という意味の、「ユーダイモニア」ということばで知られます。

幸せは、人生のゴールでしょうか?

なんとなく、人生のゴールは、幸せになることだ、とどこかで聞いた気もしますね。

しかし、そもそも、人生のゴールというものを、じぶんひとりで持てるのでしょうか?
じぶんひとりの「幸せ」は、あるのでしょうか?

やさしそうで、むずかしいこの問いに、カントは明快に、こう説きました。

道徳とは、幸せになるための教えではない。幸福にふさわしいふるまいをするための教えである。
「哲学を学ぶ」のではない。哲学することを学ぶのである。