ことばの本質①[ことばは意味を一方的に伝える道具ではない]
ヴィトゲンシュタインは、ことばは世界を写す道具ではなく言語ゲームだと言います。決まったルールがあるのではなく、そのゲームによって後から意味が生まれるのです。言語は、相手とふれあう時に交わされる、身ぶり・手ぶり、声のふるえを伴った身体行為です。概念や論理で意味を伝える方法という以前に、またそれ以上に、共感的な想像です。

みちびく –
静かに、心を落ち着ける
ちかづく –
手本に、近づける
ゆだねる –
ゆだねて、声をカタチに
くりかえす –
じぶんの声を聞く
とりだす –
ふりかえって書く
きいてみる –
じぶんにたずねる
よりそう –
人のことばによりそう
ヴィトゲンシュタインは、ことばは世界を写す道具ではなく言語ゲームだと言います。決まったルールがあるのではなく、そのゲームによって後から意味が生まれるのです。言語は、相手とふれあう時に交わされる、身ぶり・手ぶり、声のふるえを伴った身体行為です。概念や論理で意味を伝える方法という以前に、またそれ以上に、共感的な想像です。
Time doesn’t flow.
時間の流れとは?身体的な運動を思い浮かべてみると「過去にした運動」は、もはや運動ではなく、想起された運動です。つまり、ことばによってつくりだした言語的命題。じぶんのじかんは、ことばによって生成されます。時間は流れ去るものではありません。ことばの世界にあります。だから、じぶんのことばでふりかえり、味わうことができます。
Meetha Paanのアイスクリームに含まれた、小さなつぶつぶ。かむと身体中がお寺になります。お釈迦さまも聖徳太子も、きっとこの香をかいだことでしょう。私たちも彼らとおなじ空気分子を吸ったことになります(その理由は本文にて)。香はどこでもドア。想像は、どこへでも行けるとびら。想像は、どこからでもやってくるとびら。
Imagination takes you anywhere.(想像はどこへでも連れて行ってくれる)
